スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大切なのは、「一番伝えたいこと」。 

師匠の文章を分解・分析する方法を、もう少し詳しく考えてみましょう。

文章を一読して、すぐに筆者が言わんとしていることがわかる文章があります。
作者が、わかりやすい文章を書くことを信条としている場合は、言葉の選び方も平易で、一文の長さも適度で、読みやすく書かれていることでしょう。
そういう文章では、書かれている内容を読み取るのは比較的簡単です。
でも、難しい単語が多く、レトリックが凝っている文章では、一読で筆者が一番伝えたいことを読み取れない場合があります。

前回の「師匠の文章を分解・分析する」のようなやり方で、一つ一つの段落にABCを振って、それぞれに書かれた内容を要約してみます。
すると、わかりにくかった文章のかたまりが噛みくだかれて、読み取れるようになり、文章全体を理解できるようになります。
そこで、はっきり見えてくるのが、「筆者が一番伝えたいこと」です。

文章を分析する目的は、筆者が一番伝えたかったことがなにかを知ることなのですね。
「筆者が一番伝えたいこと」、すなわちそれが、その文章全体のテーマです。
当たり前のことですが、文章って、結局、一番伝えたいことを伝えるために書くものなのです。
どういう構成で、どういう文体で、どういうネタやエピソード、データを用いて書けば、「筆者が一番伝えたいこと」を的確に伝えることができるか。
その目的のために、考え、悩み、試行錯誤するのが「文章を書く」ということなのだと思います。

小・中学校の国語のテストのあの七面倒くさい問題も、実は、一番伝えたいことはなにかを見極める力を身に付けることが目的だったのですね。
スポンサーサイト

あともう数ヶ月。『がんと闘った科学者の記録』戸塚洋二 <自伝・自分史・その周辺18> 

余命宣告を受けた人が科学者であり、自分自身の病気も死も、人類の未来のために、記録しなければならないと考えたら、こんなふうに生きるのだと教えてくれる本でした。

2000年、戸塚洋二氏は、大腸がんを発症しました。
そのとき、彼は、ニュートリノの研究でノーベル賞を受賞した小柴昌俊博士の後を受け、スーパーカミオカンデの責任者であり、ノーベル賞にもっとも近い男と目される、日本の物理学界の第一人者でした。

しかし、彼はがんと闘いながら、国家プロジェクトのリーダーを務めることが、他のメンバーとプロジェクトに与える影響を考え、退職し、2007年から年金生活者となります。
それと同時にはじめたブログ「A Few More Months(あともう数ヶ月)」が、この本の元となっています。

国家プロジェクトを断念しても、彼の研究への飽くなき欲求は、損なわれませんでした。
ブログの圧倒的な情報量で、私たちは、戸塚氏の心がまったく折れることがなかったことを確認できます。
「商売柄、数値化しないと気が済まない」と言いながら、抗がん剤の効果と腫瘍サイズの関係のデータを作り、CT画像の変化を分析し、投薬の副作用について考察し、「大腸がん治療経過」として記録します。

自分の主治医よりも詳しく、自分の病について知ろうとするのは、一つの身体に、病巣とそれを研究分析する頭脳を併せ持った人間の業(ごう)なのかもしれません。
しかし、彼の健全な脳は、それだけでは飽き足らず、さまざまなカテゴリーへ、神経細胞を広げていきます。

□ 科学者として、先輩から受け継いだものを、若い世代に伝えていこうという試み。
□ 宗教と科学について、特に釈迦が持っていた科学的な視点についての考察。
□ 研究者として滞在した奥飛騨のこと、その自然のこと。
□ 自宅の庭に咲く花について。
□ 人間の生と死について。

ブログ解説の2007年8月から、最後の更新となる2008年7月まで、それぞれのカテゴリーで、1冊ずつの本ができるほどの情報量を、記録し続けます。

身体は思い通りにならなくても、脳は大丈夫。
病気とうまく付き合っているかと思えた2008年3月、がん発症後、はじめて譫妄(病気による意識障害)に陥りました。
身体のデータを取ることで、自分を研究対象としてしまう。
ただ死を待つだけではない、病気との積極的な関わりを、科学者は選択しました。
しかし、研究される身体ではない、研究する側の脳に起こった障害は、どうすればよいのでしょう。
でも、そのときでさえ、彼は科学者として最後まで生きることを選択します。

植物のお化けのような幻覚が浮かんで、頭から離れなくなります。すると、

別の場所にある理性を持った(科学者としての)頭脳が、あっけにとられてこの絵を見ています。
考えても無意味なことはわかっているので、今後この幻覚が膨らんで、理性的頭脳を圧倒するのかどうかが、当面の関心事です。



  強がりに聞こえますが。自分の頭脳を研究する楽しみができました。

死としっかり向き合いながら、最後まで本当によく闘った科学者でした。

ちょっと大変なこと。 

お知らせです。
メルマガ19号、今週金曜日に無事発行します。

最近あまり、メルマガの告知をしていなかったのは、発行直前まで原稿を書いていたりして、「今週、本当に出せるの?」
自分でも疑問なことが何週間か続いていたからでした。

メインコンテンツは問題ないのですが、てこずるのは、
「自伝・自分史・その周辺」の原稿です。
これを書くには、毎週1冊、本を読まなければならない物理的な制約があります。
スムーズなローテーションを守るには、「本を5日以内で読む」「1日で構想を練り、書く内容、引用部分を決める」「最後の1日で書く」というスケジュールで行きたいのですが、5日で本が読めないことが、ままあります。
300ページ以上ある本は、かなり大変です。しかもページ数が多い本ほど、作者が書きたいことが多いわけで、文字サイズが小さくなります。

最近は、本を手にしただけで、どのくらいの日数で読めるか見当がつくようになりました。
5日以上かかる本を読むときは、平行して2日くらいで読み終わる本を組み合わせなければなりません。
この作戦が失敗すると、メルマガの入稿が金曜の朝になってしまったりします。

今回のメルマガでは、かなりの大物を相手にしました。
読み終わるのに10日かかりまして、でもなんとか、メルマガ発行に間に合いました。

汗かきながら書いているメルマガです。
もし、まだ登録されていない方、いらっしゃいましたら、ぜひ、ご登録ください。

まぐまぐ「1日10分 1年で創る自分史」
http://archive.mag2.com/0000289134/index.html

師匠の文章を分解・分析する。 

師匠から、最初に盗みやすいものは、実は文体やレトリックより、文章の構成です。

文章の構成は、分解することで見えてきます。
やり方は、簡単です。
まず、あなたの心の師匠が書いた文章の中から、2000字から4000字くらいで書かれたものを選んでみましょう。
原稿用紙で5枚から10枚くらいの長さですから、エッセイのようなものが適当でしょう。

1 その文章をまず、ざっと読んでみる。
2 次に、各段落にABCと記号を振っていきます。
3 さらに、その段落ごとに書かれている内容を短い文で要約します。
4 今度は、さらに短く、その段落のテーマとなっていることを単語で表現してみましょう。

5 全体をもう一度読んで、作者が一番に伝えたいことはなにかを見つけます。
6 一番伝えたかったことがわかったら、次に、その一番伝えたかったことを補完している文章を見つけます。

なんかやり方は、そのまま、国語のテストですね。
小学校、中学校の国語のテストでやらされた「この段落で、作者が言いたいことを述べよ」とか、「この段落を100字以内で要約せよ」とかいう、あれですね。
子供の頃は、「なんでこんなことやらなきゃならないんだろう?」「これって、将来、なにか役に立つことなんですか?」
理解不能の疑問だらけで、やらされてる感だけでやっていた文章の分析。
あんなにつまらなかったことを、大人になってやってみると、不思議なことに、すごく楽しいんです。

作者が言いたいことを段落ごとに要約して、分析してみると、なんと、作者が描いた文章の構成が見えてきます。
こんな構成で、文章を書けばいいのかとわかれば、書くことがもっと楽しくなるはずです。

心の師匠から文体を盗む。 

心の師匠を持つことよって、あなたは、その師匠が数十年かかって創り上げてきた文体やレトリックをそのまま拝借してしまうことができます。
心の師匠が書いた文章を拠り所とすれば、あなた自身がゼロから文体を創り上げる時間、数十年間を節約できるわけですね。これは、非常にありがたいことです。文体を考える時間を、内容を考える時間に充てることができるわけですから。

「えっ?それって、文体を盗むってこと?いやいや、それはだめでしょ」
まだ抵抗感をお持ちの方、いらっしゃいますよね。
たしかに、完璧に師匠のコピーをしたら、「盗作」と言われるものになってしまうかもしれません。
一言一句、そのまま書いてしまっては、どうやってもオリジナリティは出ませんね。
でも、相当の文章力、プロとしても書けるスキルがなければ、完璧なコピーなどできるわけがありません。

将来、プロの物書きになろうと思っている人でも、いまはまだ、習作時代ですよね。
だったら、大いに心の師匠から盗みましょう。
師匠の文章の真似が上手にできるようになれば、それを文章の基礎として、その上に自分のオリジナリティを築き上げていくことができるようになります。

家族の絆を作る意志。『戦場から女優へ』サヘル・ローズ  <自伝・自分史・その周辺17> 

最近テレビでレポーターとしてお見かけするサヘル・ローズさんが、数奇な出自を語った本です。

テヘランに住む女子大生が訪れたのは、イラク軍の空爆を受けた田舎の町でした。
医師、看護師らとともに、ボランティアとして参加した救出活動では、一人の生存者も発見できませんでした。
撤収命令が下った後も、あきらめきれず、最後にもう一度現場を見回った彼女は、瓦礫に埋もれた小さな手を見つけます。
握ったその手の持ち主は4歳の少女。まだかすかな息がありました。

病院で目を覚ました少女は、はじめて見た女性に思わず、「Mader(お母さん)」と呼びかけました。それが、フローラとサヘルの出会いでした。

家族を失い孤児となった少女は、孤児院に収容されました。
でも、いつか、自分を助けてくれたあの女性が迎えにきてくれるに違いないと信じていました。

「わたしの子どもになる?」

サヘルを養子にしたことで、裕福な家庭に育った恵まれた大学生だったフローラの人生は、まったく変わったものになりました。
両親の反対にあい、家を追われ、二人はイランを出国。フローラの婚約者が住む日本に移住します。

それからの二人の生活は、凄絶なものでした。
たった一人頼った婚約者の裏切り。
ホームレスになる。
学校でのいじめ。
ツナ缶一つで2日間の食いつなぐ貧乏な暮らし。

空爆ですべての家族を失い、たまたま一人生きのびてしまっただけなのに、なぜ、こんな辛い思いをしなければならないのか。
その暮らしの中で、サヘルは自分自身に問いかけます。

  私は生きている理由、生かされている理由を知りたかった。

自分の存在理由を知りたい。
そして、たった一人の家族となってくれたフローラに幸せになってほしい。
それだけが、未来を切り開いていく推進力でした。

「この子はたいした人間にはならないわよ。貧しい町の生まれで、しかも孤児院にいたような子が特別な人間になれるわけがない。おカネの無駄」
サヘルを引き取るとき、フローラは周囲の人々にさんざん聞かされました。

  私ががんばってテレビに出られるようになったことで、イランにいる人たちに、誰でもがんばればできることを示すことができた。

そう、生きてきてよかったと思えるのは、繋いだ家族の絆が、どんな血の繋がりよりも強くかけがえのないものだと確認するときです。

心の師匠を真似てみる。 

武道や伝統芸能の世界では、弟子は師匠の動作、形、口跡や間(ま)を一つ一つ真似ながら、師匠の技を写し取っていきます。
「文章を書くときも、師匠を真似てみよう」という提案に、もしかすると抵抗を感じる人がいるかもしれませんね。
「文章で大切なのは、オリジナリティだ。人を真似るなんて、とんでもない」
「モノマネで書いた文章で、人を感動させられるわけがない」
「いくらモノマネが上手になっても、それは自分の文章じゃない」

反論はいろいろあるでしょう。
でも、武道や伝統芸能の世界では、師匠の真似をすることで、動作の基礎を学んでいく。
完全に基礎ができあがってから、やっと自分のオリジナリティを付け加えてもよいことになります。
つまり、師匠のモノマネをすること、それ自体が基礎を身に付けていくことなんですね。

文章もそれと同じだと思います。
完全にモノマネができて、オリジナリティを付け加えるのは、その次の段階だと思います。

「この人が心の師匠だ」と決めたら、その人の書く文章を何度でも読み返し、読み込んでください。
本を読む、読み方そのものも変えていきましょう。
いままでは、ただあらすじや内容を読んでいただけだったとしたら、これからは、「文章の構成はどうなっているのか?」「漢字と平仮名をどんな割合で書いているのか?」「一つのセンテンスの長さは何文字くらいか?」「文末は体言止めか用言止めか?」「慣用句をどんなふうに使っているのか?」

細部に気をつけて読んでみてください。
黙読だけではなく、声に出して読んでみることで、その人独自のリズム感や言葉選びの特徴を味わってみてください。

もし、いま、どうしても「心の師匠」が決められないなら、これから二、三ヶ月、集中的に師匠探しに努めてください。
師匠になりそうな人の本を片っ端から読んでみて、できるだけ早く、あなただけの「心の師匠」と出会ってください。


「心の師匠」を持つ。 

これまであなたが読んできた本の中で、「この人の文章、好きだなあ」とか、「なんて上手な文章を書くのだろう」とか、感心させられた人は、いませんか?
どなたにも二人か三人は、思いあたる人がいるのではないでしょうか?

その中から、「心の師匠」を選びましょう。
可能なら、あなたがこれから書こうとしている本と同じ分野の作家さんがいいですね。
あなたが書こうとしているのが、小説なら小説、エッセイならエッセイ、紀行文なら紀行文、評論なら評論というように、同じ分野で、お手本になる文章をたくさん書いている人がよいと思います。

では、次に、あなたが選んだ心の師匠が書く文章は、どういったところが素晴らしいのか、思いつく限り、できるだけたくさん書きだしてみてください。

□ 文体が流れるように美しい。
□ 書き出しから驚きがあって引きつけられる。
□ わかりやすく説得力がある。
□ 言葉の選び方、使い方が絶妙である。
□ 文章のキレがよい。
□ 文章にリズム感、躍動感がある。

こんなふうに書きだしてみると、その人の書く文章の上手さがどこから来ているものなのか、理解できるのではありませんか。
そして、それらはあなたが書く文章で獲得したいもの、目指していることと重なる部分が多いのではないでしょうか?

自分もいつか、こんな文章が書けたらいいなあと思う人、あなたの「心の師匠」はどなたですか?

「遥かなる絆」 NHKドラマを見ました。 

明日が終戦記念日ということで、戦争関係の番組がめじろ押しです。
一昨日、たまたま変えたチャンネルで、オンエアしていた「遥かなる絆」6回シリーズ。
思わず見入ってしまいました。

「遥かなる絆」オフィシャルサイト
http://www.nhk.or.jp/dodra/harukanaru/index.html

満州で両親と別れ、残留孤児になってしまった4歳の少年が、中国人の母に引き取られます。
孫玉福と名付けられ、実の子同様、母の愛情を一心に受けて青年に育ちますが、日本人としてのルーツを捨てることができません。
文化大革命の混乱の中、不穏分子として監視されながらも、当局に訴え続け、なんとか日本へ帰国を果たします。
時を経て、日本で家庭を持った彼の娘は、中国に留学し、中国と日本の歴史を学びながら、父と育ての母の軌跡をたどります。

胸を締めつけられるのは、育ての母が孫玉福に注ぐ無私の愛情です。
食べるものにも事欠く暮らしの中で、家族親戚の反対を押し切って、少年を引き取るのは、「いま、ここにある命を見過ごせない」という思いからです。
彼女が手を差し伸べなかったら、少年は餓死するか、日本人を憎む中国人に殺されてしまっていたに違いない。
母を演じた中国人女優、岳秀清が素晴らしかったです。

このドラマの原作は、昨年大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞した城戸久枝さんの『あの戦争から遠く離れて』です。
先にドラマで見てしまいましたが、近々、読んでみようと思います。

貧乏は、エンターテイメント。『びんぼう自慢』古今亭志ん生 <自伝・自分史・その周辺16> 

昭和の落語名人、古今亭志ん生師匠が、語り尽くした貧乏話を、小島貞ニ氏が記録編集した本です。

若い頃の師匠は、友だちと二人、床が傾いだ二階に住んでいました。
一枚の着物を交互に着て、交互に出かけて、祝儀をもらいに行ったり、
「ふんどしなんかいらねえだろう」と、友だちから引っぺがしたふんどしを質屋に持ち込んで、断わられたり。
とんでもない貧乏のなか、小銭を捻出するために、たいへんな知恵を絞ります。
しかし、その知恵は、「もっと早くから、きちんと稼ぐ」という方向には使われることがありません。

「志ん生と酒」のエピソードも満載です。
「呑む・打つ・買う」は全部やる。
なかでも、「呑む」にかける情熱は、半端でありません。
なにしろ、関東大震災の激震の最中、まず頭に浮かんだのが、「酒屋の酒が全部地面に吸い込まれる」という心配。
女房の財布をひったくって、酒屋に飛びこみ、
「酒ェ、売ってください」

ふつうなら「これをやられて、誰も刑事告発しないのがおかしい」という借金踏み倒しを、ほぼ日常的にしていました。
(その内容は本で確認してください)

それらを、「まあ、師匠のなさることなら、しょうがないでしょう」と、鷹揚な苦笑いで許されてしまうのは、人徳なのでしょうか?
破滅型の人生を、破滅しないように影になり日向になり、支える人がいる時代だったのですね。

想像を絶する貧乏を、芸の肥やしにして、名人と称されるようになる。

いま、民間給与の総額が1年で2兆円減少したとかのニュースに、私たちは度を失うほど慌てふためいています。

「貧乏はするもんじゃありません。味わうものですな」
と言い切った志ん生師匠に、貧乏を味わい尽くす術を学ぶことはできないのでしょうか?

「病気が教えてくれたこと」エッセイコンテスト 

ときどき、テレビでcharaさんのやさしいバラードがバックに流れるCMを見かけます。
「病気がおしえてくれたこと」というタイトルが気になって、調べてみました。

アステラス製薬が主催するエッセイコンテストなんですね。

「病気がおしえてくれたこと」エッセイコンテスト
オフィシャルサイト

http://www.astellas.com/jp/corporate/brand/essay/index.html

テーマは、自分や愛する人たちの病気の体験を通して学んだこと。
1200字以内のエッセイにまとめて、応募します。
締切は9月30日です。


1200字といえば、いま自分史と向き合っている皆さんには、結構書きやすいサイズですよね。
やってみましょう。
テレビを媒体に使った大々的な告知キャンペーンですから、応募者も大変な人数になると思いますが、参加することに意義がある。
人に読んでもらう文章をうまく書けるようになるには、なんといっても場数を踏むことが一番です。
賞金10万円ゲットできたら、めっけもの。
駄目でも、このエッセイコンテストのために書いた原稿は、そのまま自分史に使えますから。

あなただけの3つの価値基準。 

価値基準を持つことの最大のメリットは、自分の書いた文章が、これでいいのかどうか、もう無駄に思い煩う必要がなくなることです。
この基準さえクリアしてしまえば、自分のスタイルを持った文章になる、と決めてしまうのです。

「なぜ、3つ?」という疑問がありますね。
方向性の異なる基準を3つ持てば、一つの文章を三方向から、異なる視点で確認できます。
もちろん、プロの作家になることを目指していたら、3つの基準では不十分でしょう。でも、将来はともかく、いまのところはプロの作家を目指しているわけではありませんよね。
だったら、3つの価値基準で十分だと思います。

あなたは、どんな価値基準を持ちますか?

  「元気がいいこと」「わかりやすいこと」「おもしろいこと」

  「センスがいいこと」「大人っぽいこと」「わかりやすいこと」

  「力強いこと」「シャープなこと」「わかりやすいこと」


こうやって並べてみると、その3つの価値基準を持った人がどんな文章を書くか、想像できるでしょ?
もしかすると、その人がどんな性格の人かも、想像できてしまうかもしれませんね。
私が考えると、どんな基準にも「わかりやすいこと」が入ってしまいますが、人それぞれ、自分だけの価値基準が考えられるはずです。

まず、あなたがどんな文章を読んだときに、いい文章だなあ、と思うか。
あるいは、いまはまだ書けないけれど、こんな文章が書けたらいいなと思う文章のお手本。
それを参考にして、自分だけの3つの価値基準を決めましょう。

もしあなたが、いままで、「どうやっても上手に文章が書けない」と思っていたとしたら、3つの価値基準を持つことが大きな力になることと思います。


文章の価値基準を、3つ持つ。 

書きたいのに書けない人を観察してみると、「上手に書かなきゃ」という思いが先に立ち、逆に書けなくなってしまっているようです。
書くことは、自己表現の最高の手段なのに、書かないことがもったいない。

そんな書きたいのに書けない人、書いているけれど、うまく書けたと納得できない人に、ぜひおすすめしたいのが、3つの価値基準を持つことです。

書きあげた文章が、「よしっ、書きあがった!」と確認できる3つのチェック基準を決めてみましょう。
たとえば、私は、こんな3つの価値基準を持っています。

1. わかりやすいこと
2. 共感性があること
3. 端正であること


この基準があることで、私は、私が書いた文章に、私自身がOKを出すことができます。

「わかりやすいこと」
これは、人とコミュニケーションするために書く文章の基本ですから外せません。一部の詩や、難解であることで、読者を選別する評論文などに、わかりにくいことを由とする文章がありますが、それは例外ですね。

「共感性があること」
これは、書く内容とも絡んでくることですが、書いた文章が「なるほど」と読んだ人を納得させられるものであることを目指しています。

「端正であること」
なかなか難しいものあり、自分の中ではいちばんハードルが高い基準です。自分で「端正」と思っていても、読んだ方がそう思ってくださるかどうかはわからないので、これは、努力目標ですね。

文章を書きあげると、これら3つの基準に照らして、文章チェックをします。

「ここ、ちょっとわかりにくいなあ」「意味が取り違えられそうだな」と思えば、その部分を、何度でも書き直します。
「共感性ある文章」とは、対象とする読者に、違和感なく納得してもらえる文章です。
内容だけでなく、言葉づかいや、文章の構成、展開に共感性があるかどうかをチェックします。
「なんか端正じゃないなあ」「もうちょっと端正になるフレーズを考えてみよう」というようにチェックして、「端正な文章」に近づこうと考えています。

長い恋愛と静かな別れ。『そうか、もう君はいないのか』城山三郎 <自伝・自分史・その周辺15> 

城山三郎氏の小説には、社会の既成概念との軋轢をものともせず、自分の信念を貫き、偉業をもって時代に名を残した男性が多く描かれています。
その人物像の影響か、城山氏自身も、自制的で自律的、かつ豪放磊落な男性であるという思い込みをしてしまっていたようです。
それゆえ、愛妻容子さん亡きあとの、信じられない脆さに、感動すら覚えました。
人は、愛するものを失ったとき、これほどの喪失感を味わわねばならないものなのか。

二十代のはじめと十代のおわりに、出会った二人は、親の反対で一度は別れたものの、運命であったかのように再会を果たし、結婚します。
こういう二人こそ、「ベターハーフ」というのでしょう。
娘時代から、愛くるしく茶目っ気たっぷりの容子さんを、城山氏は無条件に愛し、二人は互いを必要とし合います。
結婚当初こそ、大学講師の安月給で、ラクではない生活を経験したものの、城山氏が作家として認められた後は、妻は夫の仕事を支え続け、二人はよき家庭人として生き、充実した生活を営みます。

  「夫婦」と書けば、親しげな顔をして付いてくる言葉が「喧嘩」。
  ところが、幸か不幸か、いや、もちろん「幸」だが、喧嘩らしい喧嘩をした覚えがない。

長い恋愛関係が永遠に続くような、しっくりと、よくなじみ合った二人を引き裂いたのが、妻の病気でした。
癌の発覚から、容子さんの死まで、城山氏は抑制が効いた筆致で淡々と描きます。
しかし、城山氏の文は、なぜか、中途半端に終わっています。
こういう終わり方でいいのだろうか、という疑問は、巻末に、次女の井上紀子が寄稿した手記「父が遺してくれたもの」で、解明されます。

容子さん亡き後の城山氏は、仕事場として使っていたマンションで寝起きをし、二人で住んだ家には戻ることができなかったといいます。

  「一睡もできないって、初めて知ったよ」

直後は喪失のあまりの大きさに、ほとんど鬱状態であったことが想像できます。

  「ママの事を書いてくれって言われているんだけど、困っちゃうよ」

容子さんが亡くなってすぐに出版社から来た原稿依頼に、応えられないまま7年が過ぎました。思いだすのも苦しい状態がずっと続いたのち、

  「ママが夢に出てきて『私のことを書いてくださるの』って言うんだよ」 

やっと書きだすことができたのは城山氏自身が亡くなる半年前のことでした。
そして、『そうか、もう君はいないのか』は、容子さんの最期を描いたシーンで未完のまま、絶筆となります。

アメリカに住む長男が、日本に戻り、何日か病院に通い、入院中の容子さんを見舞って、ニューヨークに戻る日、もう起き上がれないはずの容子さんは、ベッドから滑り落ち、直立して挙手の礼で送りました。
突然のおどけた動作に、親子三人は明るく笑いあったのでした。

  「生涯、私を楽しませ続けてくれた君にふさわしいフィナーレだった」、と。

人が、これほどまでに互いを求め合い、慈しみ合うことができることを教えてくれる本でした。
お二人のご冥福をお祈りします。

メルマガ16号は、7日(金)午前中の発行です。 

「1日10分 1年で創る自分史」のメルマガ、
今週金曜日の午前中に発行予定です。

今週で16号。
我ながら、1回も落とさず、続いているのはエライッ!(自画自賛)

メルマガの内容は、ブログとは少しずつ変えるように考えています。
メルマガ独自のコンテンツもあります。

まだ、ご登録いただいていない方、
ぜひ、新規ご登録をお待ちしています。

←左の「メルマガやっています。」のフレームから、
簡単にご登録できます。

自分だけの記憶に、普遍性を持たせる。 

あなたには、あなたの記憶があります。
その記憶を記録するだけの目的なら、日記には、書かなくてもいいことがたくさんあります。
友だちと遊びに行ったことを書くとき、普通の文章であったら、その友だちがどんな人で、自分とはどんな関係であるかを書かなければならないでしょう。
また、行った場所については、はじめて行った場所ではなくても説明が必要になります。
日記では、端折ってしまうこと、多いですよね。
基本的に、自分の記録として残すのが日記の文章ですから、自分にとってわかり切ったことを説明する必要はありません。
自分にしかわからない省略語や記号を使うこともOKです。

(でも、若いときに書いた日記を、年を経て読み直す機会があると、省略しすぎてあって、なにを書いたんだか、全然わからないことがあります。
いっしょに遊びに行った人の名まえをあだ名で書いてあって、誰だったのか思いだせなかったりすると、自己嫌悪に陥ります)


日記を書いている人は、ある日の日記の全文を、他の人に伝える文章に書き換えてみることをおすすめします。

日記の文章になにを補えば、他の人にも伝わる普遍性のある文章にできるのか、両者を比べて検討してみるといいでしょう。


日記を書いていない人は、小学校の夏休みの宿題を思いだして、何日か日記を書いてみましょう。
そして、その日記の文章を他の人に伝えるスタイルに書き換えるというステップを踏んでみてください。

自分だけがわかればいい日記の文章に、決定的に足りないのは、他の人と記憶を共有するための普遍性です。
日記を普遍性のある文章に書き換えてみる練習は、自分史を書く上でも、よい訓練になると思います。

書くことは、自己表現。 

子供の頃から、途切れることなく数十年日記を書き続けていらっしゃる方、いらっしゃいますか?
もし、そういう方がいらっしゃったら、それはそれで、とても素晴らしいことだと思います。
「継続は力なり」ですから、文章もうまくなったことでしょう。
でも、日記の文章をそのまま、他の人に読んでもらったとしたら、書いたことがなかなか伝わらないこともあるのではないでしょうか。

第二次大戦中に書かれた『アンネの日記』が、戦後60年を経て、なお読み続けられているのは、その本の数奇な運命だけによるものではないと思います。
14歳の少女が日常の出来事を書き記した日々の記録でありながら、その文章は日記以上のオリジナリティがあります。

日記帳を「キティ」と名付け、日常の出来事をキティに手紙で伝える表現を取っています。
隠れ家で同居する人々への思いや、初恋のときめきを、キティに告白します。
将来、小説家になるつもりだったアンネは、日記を作家修行のための習作と考えていたからなのでしょう。
日記でありながら、将来第三者が読むことを意識して書き、実際にオリジナルの原稿を推敲し、自らリライトもしています。
彼女の、文章への向き合い方が『アンネの日記』に、永遠に色あせることのない普遍性を持たせることができたのだと思います。

つまり、たとえ日記であっても、あなたが書く文章は、誰かにあなたを伝えるための手段であると考える。
すると、書くことは、自己表現そのものであることに気づくはずです。

ところで、『アンネの日記』、今日からNHKでオンエアなんですね。
http://www3.nhk.or.jp/kaigai/anne/index.html

なんというタイミング。
見てみようと思います。

生きることの意味を問い直す。『夜と霧 新版』ヴィクトール・E・フランクル <自伝・自分史・その周辺14> 

最初にこの本の旧版を読んだのは高校生のときでした。収容所の記述があまりに恐ろしく、心臓が肥大してしまったかのように、どきどきしっぱなしだったことを覚えています。
心の全体を占拠したのはその恐ろしさだけで、書かれた内容について考える余裕はまったくありませんでした。

長い年月を経て、新版で読みなおしてみて、やっと「心理学者、強制収容所を体験する」という原題の意図が理解できた気がします。

アウシュヴィッツに到着した人々を待っていたのは、労働者として働かせる者は右へ。そのまま焼却炉へ送り込むものは左へ、という選別。
焼却炉を免れたものも、サディストの監視員が見張る厳寒の屋外作業へ。あるいは、身体的に比較的ラクな屋内作業へ、という選別。
日常的な選別を生き延び、連合軍の解放によって、収容所を出ることができたフランクル博士は、はっきりと言い切ります。
 
  生存競争の中で良心を失い、暴力も、仲間から盗むことも平気になってしまっていた。そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。
  とにかく生きて帰ってきたわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちは、ためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。



この本は、一人の心理学者が、生を選ぶより死を選ぶ方が格段に易しい極限の状況の中で、「生きる意味」を問い続けた物語です。

アウシュヴィッツに収容され、博士が最初に自分に約束したことは、

「鉄条網に走る」ことは、けっしてすまい。

ということでした。「鉄条網に走る」とは、高圧電流を自分の体に流す、すなわち自殺するということ。それは、肉体が生きていても内面がじわじわと殺されていく被収容者が、肉体と精神の一致を得るための最後の行為でした。

収容所の衣食住、労働のすべてが、被収容者の感情を消滅させていきます。
それは、自己保存メカニズムであったと博士は認識しています。感情を喪失させることで、たったひとつの課題、「自分の生命を、そして仲間の生命を維持すること」に、意識を集中させたのでした。

心理学者で精神分析医であるフランクル博士は、自殺願望を持つ被収容者を説得します。
目に入れても痛くないほど愛している子供がいる男には、父親としての唯一性を説いて。
研究書の上梓を未完のまま残してきた研究者には、仕事が彼を待っているという事実を以て。

  自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。

「苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ」と、博士は認識します。
その思念は、生老病死(しょうろうびょうし)を、人間の最大の「苦」だとするブッダの教えと重なって見えてきます。
まちがいなくユダヤ人であるヴィクトール博士が、ブッダの生まれかわりのように見えてくるのは、なぜなのでしょう。

この本を読み終わったとき、「生きることへの責任」という博士の言葉が、胸のいちばん深いところへすんなりと落ちていきます。
生きる意味を否定して、死を選ぶ人々の、その選択の無意味さを思い知らされます。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。