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SASUKEという人生。 

ご存知の方も多いと思いますが、TBSで、年2回、春夏に行われるイベントでSASUKEというのがあります。
TBS緑山に鉄パイプを組んで建てられた22メートルの巨大ゴールを目指して、100名の挑戦者が、3つのステージをクリアしていく体力系ゲームです。

1stステージでは、主に瞬発力。
2ndステージでは、主に腕力と瞬発力。
3rdステージでは、主に持久力と腕力。

バランスよく、しかも圧倒的な体力がなければ挑戦できないゲームです。

私は、1回目からずっと見続けていますが、第7回大会に長野誠さんという宮崎県の漁師さんが出演するようになってからは、27日に行われた23回大会まで、どっぷりのめり込んで見ています。
長野さんは、2007年の17回大会で完全制覇を果たしますが、その前から、最終挑戦者ゼッケン100番を担っています。
小柄なのにすごいオーラを放ち、サスケアスリートとして、圧倒的な安定感を誇っています。
今回の大会ではファイナルステージに挑戦する2人の1人に残り、あと一瞬でゴールというところまで行きました。
実は、この日の長野さんは、1stステージほとんどクリア寸前に、セットのロープが絡む事故があり、落下。審議の結果、再挑戦が許され、2度目の挑戦で無事クリア。ほとんど4ステージをクリアしてのファイナル挑戦だったのでした。
ネットのサスケファンの間では、1stステージを1回で通過していれば、絶対完全制覇できたとの意見が大半。
たしかに、すごい気迫で、すごい集中力がある長野さんでした。

それにしても、長野誠という、タレントでもなんでもない一般人の人生を、10年近くずっと見守っていける世の中って、なんなのでしょう。
長野さんの乗っている船が、第28金毘羅丸だとか、長野さんの息子の名前が塊王くんだとか。こんなことまで知っているんですから。
うーん。SASUKEは、まさに長野さんの自分史なのですね。

ところで、私のメルマガ、「1日10分 1年で創る自分史」は、10月2日金曜日に発行します。
もう10月なのですね。
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相手の反応から、「いい話」を熟成させる。 

英語には、「大げさな話、ほら話」の意味で、【fish story】という言葉があります。
<釣った魚のことを、人に何回も話しているうちに、だんだん話が大きくなってしまう>という意味だと思いますが、日本語にも似た表現がありますね。
「話に尾ひれをつける」というのは、実際にないことを付け加えて、大げさにしてしまう意味です。英語日本語、同じような表現を使っているのはおもしろいですね。
で、なにが言いたいかというと、事ほどさように、人は話をするとき、おもしろおかしく語るために、あることないこと言ってしまうらしいということです。
つまり、相手におもしろがってもらうために、過剰にサービスしてしまうのが人間の習性なのでしょう。

それなら、これを利用しない手はありませんね。
「あ、これ受けるところ!」というのが、相手の反応によって確認できることは、書くときにも大いに参考になります。
別に、「ほら話を作ろう」と、お勧めしているわけではありませんよ。

人に話すことの最大のメリットは、相手の反応を受けて、話す内容を深く考えることなんです。
相手にもっとくわしく話そうとすると、自分では忘れていたことを思い出すことが必要になります。
話の内容とはあまり関係ないと思っていた事柄同士が、深い因果関係にあったことに気がつくかもしれません。
「それで、それで」と促されると、さらにくわしく話すことになります。
その話を相手が話をどんなふうに受けとめたのかがわかると、自分の体験をもう一度第三者的な視点で見ることができます。
「ああ、そういう見方ができるのか」という発見があるかもしれませんね。

そして、その話、一人だけじゃなくて、別の人にも話してみましょう。
人によって、受けるところが全然違うということもあります。
「え、そんな見方もできるのか」という再発見があるかもしれません。

人に話すことで、「いい話」を熟成させることができるでしょう。
同じ話を何回も何回も話すことで、完成形ができあがる。
そのまま書き取るだけで、「いい話」のいい文章になるくらいまで熟成させてみましょう。

「いい話」を人に話してみよう。 

自分が拾い出した「いい話」が、本当に「いい話」なのか、それほどでもない話なのか、手っ取り早く確認するには、人に話してみることです。

ときおり、世の中には「話すより書く方が得意だ」という人がいます。
でも、プロの作家、ライターを別にすれば、大半は話す方でしょう。
どちらも苦手だという人でも、あえて比べてみれば話す方ではないでしょうか。
なぜ、話す方かと言えば、「話す」行為には、すぐさま相手からの反応が返ってくるからですね。
そして、相手の反応によって、「話す」ことを楽しむことができる。
さらに、相手と会話を通してつながることで、上達する可能性があるのが、「話す」技術です。
それと比べると「書く」ことは孤独です。
書いている作業の間は、誰ともつながっていません。
一人で書いていても、書き上がったとき、人がおもしろがってくれるのか、楽しんでくれるのか、さっぱりわかりません。

それなら、書く目的のために、書く前に人に話してみるというのも、「いい話」を書くための一つの方法ではないでしょうか。

いい話のタネを見つけたら、身近な人に話してみましょう。
「よし、話すぞ」と身構えないでください。
いつもの会話と同じ感じでかまいません。
気負うことなく、「最近、おもしろいことがあったんだ」と、ふつうに話しはじめてください。
そして、話しながら、相手の反応をしっかり観察してみましょう。
思わず笑うところ。「ふむふむ」と、乗り出してくるところ。「それで、それで……」と、促されるところ。
相手から、「いい話」を聞いている反応が引き出せれば、大成功です。

「かまど消し」と呼ばれて。『リンゴが教えてくれたこと』木村秋則 <自伝・自分史・その周辺22> 

「はじめに」の文章で、やられてしまいました。
木村さんが書くのは、完全な自己一致の文章です。

 私は自分がリンゴをつくっていると思い上がっていました。
失敗に失敗を重ね、この栽培をやって知ったことは、私ができるのはリンゴが育ちやすいような環境のお手伝いをすることぐらいということでした。地球の中では人間も一生ものに過ぎません。木も動物も花も虫たちも皆兄弟です。互いに生き物として自然の中で共生しているのです。


自然に素直に。
自分に正直に。
なによりも、リンゴに誠実に。

木村さんが「自然栽培」と名付けたリンゴ栽培を志した理由は、農薬による身体の変調でした。
農薬散布のあと、皮膚はやけどのように爛れ、奥さんは体調をくずし、一週間以上畑へでることができませんでした。

人間にこれほどまでに苦痛を強いる農薬を、リンゴが喜んでいるはずはない。

農薬は人間にも、作物にも安全ではない。
また、化学肥料や有機肥料も過剰な栄養になって、リンゴを傷めてしまう。
そのことに気づいた木村氏は、無農薬、無肥料でリンゴ栽培しようと考えました。

リンゴの自然栽培を成功させるまでの道のりは、平坦ではありませんでした。
リンゴの葉は虫に食いつくされ、病気に襲われ、リンゴの実はまったく実りません。

村の人々に、木村さんは「かまど消し」と呼ばれていました。
青森の言葉で、家のかまどの火を消してしまう人、つまり、破産して家田畑を手放してしまう人のことだそうです。
無農薬、無肥料の農法に一心不乱に取り組む木村さんは「かまど消し」そのもので、近所の人との付き合いも途絶えてしまいました。

先が見えない試行錯誤の連続の中で、田んぼを手離し、無一文になり、死のうと思い分け入った山の中で、木村さんは、ドングリの木を発見します。

 こんな山の中でなぜ、農薬を使っていないのにこれほど葉をつけるのか。なぜ、虫や病気がこの葉を食いつくさないのか。

リンゴの自然栽培の答えは、「山の土と同じ匂いがする土を作る」というものでした。

大豆を植え、根粒菌により土質を改善する。
雑草は生えたままにすることで、土が乾くことを防ぐ。
落ちた葉は土に返し、自然の肥料にする。
農業でもっとも大切な土づくりを自然の循環にまかせ、その循環の中に、リンゴの木を入れてやる。
リンゴの木はストレスを感じず、自然の一部として成長していく。

自然栽培はリンゴだけのものではありません。
米も野菜も、自然栽培で収穫できるのだそうです。
人間が手をかけたものは、自然の中ではひ弱ですが、自然の循環の中で、作物は強く、たくましく育ちます。

木村さんの志に動かされ、自然栽培をやる若い人が増えているという事実。
食料自給率40%の日本に、大変力強いムーブメントが生まれています。

映画のハシゴ。 

連休最後の日の昨日、銀座で映画を2本観てきました。

1本目は、「リミッツ・オブ・コントロール」
ジム・ジャームッシュ監督の最新作なんですが、正直ちょっと疲れました。
ストーリーの基本となるジャストアイデアを本人、すごく気に入ったのだと思うのですが、それを観客の皆さんも気に入るようにするには、もう少し練り上げないと無理でしょう。
鉄骨だけのビルディングを、「ハイ、建てました」と言い張る建築家のようです。
せめて、壁くらい付けてくれと言いたいです。

2本目は、「グッド・バッド・ウィアード」
こっちは、文句なくおもしろかったです。
チョン・ウソン、イ・ビョンホン、ソン・ガンホ、トリプル主演の韓国映画です。
男の子は、こういう映画好きだろうなあ。
ツッコミどころは満載ですが、いちいちツッコんでいる余裕をまったく与えてくれません。
最後は、ま、いいかと思わせる押しの強さ。
アクションの意表のつき方が半端ありません。

連休も終わりまして、
本日から平常操業です。
メルマガ「1日10分 1年で創る自分史」23号、
明日午前中、発行します。
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いい話を見つける力。 

いい話ファイルの作品を読んで、「いい文章が書けるのは、いい内容があるからだ」と考える方はいると思います。

いい文章を書くためには、「いい出会い」「いい体験」「いい家族」「いい友人」が必要だ。

それも一理あるような気がしますが、そうなると、いい体験をしていない人は、いい文章が書けないことになってしまいます。
いえいえ。そんなことは絶対にないはず。
いい話ファイルの作者たちがとくにいい体験をたくさんしているわけではなくて、いい話を見つける力があるということなのだと思います。

日常生活は、給料を稼ぐための、同じ毎日の繰り返し。

そういうふうに考えていれば、ある日、あるときのいい出会いを、「いい出会い」と気づくこともなくスルーしてしまうかもしれません。
人生観が変わるような「いい体験」をしても、次の日には忘れてしまっているかもしれません。

日常の中から、いい話を拾いだす力。
それは、そのまま、いい文章を書くためのネタを探しだす力につながっていきます。

いい体験をしているにも関わらず、自分の考え方のくせや既成概念から、「それほどの体験じゃない」と決めつけてしまっていたら非常に残念です。

いい話を見つける力を研ぎ澄ませ!

自分と関わり合うものすべてに素直に、新しい気持ちで接することによって、「いい体験」と感じるものが増えていくと思います。
「いい文章」を書くためのネタも、どんどん増えていくはずです。


「いい話」から「いい文章」を。 

「いいはなシーサー」のいい話ファイルの作品をもとに、いい文章を考えてみましょう。

いい話ファイルの作品はナレーションとして読むと1分少々。
文字に書き起こすと400~600字の小品です。
人間の体験は、本来もっと複雑で未整理で、曖昧模糊としたものでしょう。
それを、テレビ番組の1分間の話にまとめるために、主題以外の周辺情報をそぎ落とし、ぐっと圧縮したものが、いい話ファイルの作品です。
私たちが自分史で書こうとしているものが原稿用紙5枚から10枚くらいの文章だとすると、それにはかなり足りません。
いい話ファイルの作品を、再構築するためには、圧縮された文章を再度解凍する必要があります。
そこに、どんな情報が圧縮されているのか、想像し、文章にまとめ直すために、抜け落ちた情報を足していってみましょう。

・主人公の人物像をもっと詳しく。
・ 他の登場人物との関係をもっと詳しく。
・ 状況の説明をもっと詳しく。
・ 言葉が発せられたときの相手の表情や反応。
・ そのとき感じたこと。考えたこと。

文章として成立させるには、こんな情報を書き込んで、再構築することが必要ですね。

でも、圧縮されているからこそ、「いいはなシーサー」の作品では、「一番伝えたいこと」が明確にわかります。文章を再構築するときにも、中心になるのは、その「一番伝えたこと」です。
それがわかっていれば、いい話ファイルの作品の再構築は、そんなに難しいことではないでしょう。

トップダウンはコストダウン。『俺は、中小企業のおやじ』鈴木修 <自伝・自分史・その周辺21> 

鈴木修氏は、現在もスズキ自動車会長兼社長です。
年間売上3兆円の大企業で社長職を務める人が「中小企業のおやじ」はないだろう。
そう思って読みはじめたのに、読みながら「あ、なるほどね、だから中小企業のおやじなんだ」
妙に納得させられてしまいます。

スズキ自動車が得意とするのは、小回りの利く軽自動車や小型車。
主力商品は、トヨタ日産が手を出さないスキマ商品的な低価格低利益のクルマです。
鈴木社長は、扱う商品と同じように、小回りが利き、決断がスピーディーです。
持論は、「ボトムアップはコストアップ。トップダウンはコストダウン」。
下からの積み上げで物事を決めようとすると、時間とコストがかかるばかり。
トップが決断することが、コスト削減の決め手になる。

大企業のシステムの効率化にはマニュアル遵守が欠かせません。
鈴木氏は、マニュアル化によってむしろ効率が悪くなると考えます。

確かに、「マニュアル化」は、「考えながら」働くことを不要にします。
自分で考えて行動できない最低レベルのスタッフのスキルに合わせて作られたのが「マニュアル化」の発想なのかもしれません。

こんなエピソードがあります。
鈴木社長は、年に一回、自ら国内外の工場を視察する「工場監査」を行っています。
そこで、スペースの無駄、必要ない照明や設備の無駄、作業効率などをチェックし、改善指示を出します。
工場には水や空調、電気の配管が張り巡らされているのですが、ある工場で、それぞれの配管にペンキで色を塗り分けているのを発見しました。
「誰がこんなことをやれと言ったのだ」と聞くと、「SОSに書いてあります」
SОSとは、「スズキ・オペレーション・スタンダード」という社内規定で、そこには、パイプを色分けするように指示してあるそうです。

 パイプの色分けなら所々にカラーテープを巻いておけばよい。
 SОSは、国が決めた規則でもなんでもない。
 自分たちが決めた規定に不都合があるなら、自分たちで直せばよい。

「なにやってんだ、おまえらは!」
怒り方も、中小企業のおやじっぽい。
でも、社員にとっては、怒られることによってトップの顔が見えます。
トップの発想を、身をもって体験することができます。
マニュアルではそうはいきません。
トラブルの原因がマニュアルではなく、自分に責任があることを、ともすれば忘れさせ、一人一人の判断を鈍らせるという弊害を持つものでもあるでしょう。

マニュアル化ではなく、トップの意志を浸透させることで、会社全体を動かしていく。
つまり、中小企業のおやじのやり方なんですね。

メルマガも22号になりました。 

政権が変わりました。
組閣人事を見てみると、麻生政権のその前の福田、安倍政権のときよりも、知っている顔が多いような気がします。
万年野党を務めながら、皆さん結構顔を売っていたのですね。
新政権なのに親しみを感じてしまうのは、私だけでしょうか?

さて、メルマガ「1日10分 1年で創る自分史」
9月18日金曜日の午前中に発行します。
なんと、今週で22号。
よく続いています。
自画自賛。

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「いいはなシーサー」を教材にする。 

「一番伝えたいこと」を考えるにはとっておきの教材が、目の前に転がっているなんて、インターネットって、やはり便利ですね。
「いい話ファイル」に記された数十篇の「いい話」は、視聴者からの投稿によるもの、テレビ局の取材によるもの、入り交じっています。
書き方も、内容のレベルもいろいろですが、タイトル通り、いい話がいろいろ詰まっています。
ほんわりいい気持ちになるもうれしいのですが、それ以上に、「一番伝えたいこと」がなにかを見極める勉強ができます。

いい話を一つずつ読んでいくと、「ああ、作者が一番伝えたかったのは、このことだったのか」と、わかる文が必ず出てきます。
番組のナレーションの中でそのまま使われた文章だと思うので、多くの場合は、耳から聞いてすぐわかるように、状況の説明から語り起していくスタイルを取っています。
そのせいか、「起承転結」にそのまま当てはまる文章も多く見られます。
筆者の「一番伝えたいこと」は、最後の部分か、その少し前に見つかるでしょう。

「一番伝えたいこと」の見極めができたら、今度はそれを、文章の書き出しに持ってきたらどんな構成になるか考えてみましょう。
そのままの形で頭に持ってくるだけでは、文意が整わないかもしれません。
地の文をセリフ文にしてみるとか、短く印象の強い文にしてみるとか、必要に応じて加工すると文章に勢いが出てくることもあるでしょう。
もちろん、最後の部分にあった文を前に持っていくのですから、アナの空いたところをどうすればよいかも考えなければなりませんね。
人の書いた文章ですが、構成を考えるのにとても役に立ちます。

そして、「いい話ファイル」の数十点の作品の中には、「一番伝えたいこと」が最後に来ないと成立しない文章も出てきます。
時系列でストーリーが展開し、「一番伝えたいこと」がネタバレ、タネあかしのような構成になっていると、これはどうやっても書き出しに引っ越しさせるわけにはいきません。
そんなことも考えながら、いい話を味わってみてください。

一番伝えたいことって、なんだろう。 

「一番伝えたいこと」の話を書いてきましたが、もしかすると、「一番伝えたいことがなにか、わからない」ということがあるでしょうか。

テーマとして、書きたいことは決まっている。

 高校生のとき、バレーの部活でがんばったことを書きたい。
 中学生のとき、母と喧嘩をして家出した日のことを書きたい。
 小学生のとき、親友が転校してしまったことを書きたい。

書きたいことはあるけれど、じゃあ、そのストーリーで「一番伝えたいこと」はなんなのだろう?
考えはじめると、あれもこれも書きたくなって、どれも「一番伝えたいこと」に思えてきて、全然まとまらないということになるかもしれません。
あるいは、それとは逆に、書きたいことの状況は思い浮かぶのだけれど、漠然としていて、これが「一番伝えたいこと」という記憶がどうしても立ち上がってこない。そんなこともあるかもしれません。

「一番伝えたいこと」がなにかわからない。

そういう人のために、きっとお役立ちの、すごいサイトを見つけましたよ。
テレビ朝日で、「いいはなシーサー」という番組をやっているのをご存知ですか?
私が住む東京では、木曜日の24時15分(金曜日0時15分)からやっています。
もしかすると、お住まいのところでオンエアがない地域もあるかもしれませんが、そういう方も、まずは、このサイトの「いい話ファイル」をご覧ください。

いいはなシーサー オフィシャルサイト
http://www.tv-asahi.co.jp/e8743/

どん底まで落ちてみる。『失踪日記』吾妻ひでお <自伝・自分史・その周辺20> 

人が、落ちるところまで落ちる様を、フィクション以外ではなかなか知ることができません。
「落ちるところまで落ちる」実体験をした人は、もう私たちとは接触できない、遠いところへ行ってしまうからでしょう。
遠いところから戻ってきて、しかもその人が体験の一部始終を漫画にしてくれるなんて、かなりありがたいことです。

漫画家 吾妻ひでおは、創作の苦しみを抱え込んでいました。
雑誌社が、自分が描きたい漫画を描かせてくれない。
描いたものに納得できない。
自分の納得レベルを下げれば書ける。
しかし、納得レベルを下げることは、さらに苦しい。

そして、その生活から逃げ出し、あっけなく落ちていきます。

自殺未遂
ホームレス
アル中
精神病院


ありえない体験ですが、漫画という手段で表現するせいか、そんなに悲惨に感じません。
悲惨に感じない理由は、もう一つあります。

実はすぐ戻れるらしい。

不審尋問で連れて行かれた警察で、ファンの巡査に色紙をねだられる。
「先生は、こんなことをしている人じゃない」と説得される。
捜索願が出ていて、すぐに家に連れ戻されてしまいます。

再度、家出してホームレスに戻りますが、その生活にも慣れてくると、

 「ホームレスは閑だ」
 「みんな働いているオレもちょっと働きたい」

そう思い、なぜか配管の会社に勤めてしまいます。(元ホームレスなのに、すぐ働ける)
ちゃんと仕事も覚えて、毎日の肉体労働で、ムキムキの健康体になり、しかも、会社の社内報の作品募集に応えて、漫画を投稿し、まんまと社内漫画家になってしまう。
編集者に追いつめられて嫌々描くのは辛いが、自分が描きたいものを自由に描くのは好きなのですね。

ホームレスになる人の原因の大多数が、金銭トラブルでしょう。
しかし、彼の場合は、創作意欲の喪失。
そこから生じる精神疾患が原因と思われます。だから、

気持ちさえ変えられれば、元に戻れる。

「漫画家 吾妻ひでお」が、自分自身をもう一人の自分として冷静に見守っている感覚を持っていることが、どんなどん底からも戻って来られる理由なのでしょう。
しかし、本当の問題は戻ってきたその後にあるのかもしれません。
吾妻さんは、はっきりと描くことを避けているようですが、日常である創作生活の方に、むしろ彼のどん底が存在しているのではないかと思いました。

「ハウエルズ家のちょっとおかしなお葬式」という映画を観ました。 

フランク・オズ監督の、ロンドンを舞台にした映画です。
父親が亡くなって、家族、親戚、知人が集まった自宅でのお葬式。
次々起こる事件に、振り回される人たちを、気の弱い長男中心に描いたコメディです。
とんでもないドタバタで、ネタはかなりブラックで、下ネタも満載なのですが、なぜか、見終わった後がとてもさわやか。
やっぱり、「家族っていいね」と思う、ほんわかした気持ちが残ります。

監督のフランク・オズは、セサミストリートで人形を遣っていたり、スターウォーズでヨーダを遣いながら声優もやっているという、いわゆる鬼才ですね。
すごくいい映画なのですが、残念なことに、シネマート六本木で、本日11日までの上映なので、もう無理ですね。
DVDが出たら、ぜひ、レンタルでご覧ください。

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起承転結では間に合わない。 

かつて、文章の構成法の主流だった「起承転結」は、前ほどもてはやされなくなりました。
ただ、作為的でなく自然な流れで、時系列的に事柄を書く場合には結構扱いやすい構成であることは間違いないと思います。
私が日常的に読む文章で、頻繁に「起承転結」で書かれていると思うのは、朝日新聞の一面に、毎朝掲載されている『天声人語』ですね。
文章量は600字ちょっと、原稿用紙で1枚半くらいの短文です。
一気に読める文章なので、そんなに構成や展開を考える必要はないのかもしれません。
また、他の記事には見出しが付けられているのに、『天声人語』に見出しなしということは、中身になにが書かれているかわからなくても毎朝必ず読んでくれる読者がいるのですね。

 短文で、同じ人が読んでくれて、毎朝同じ紙面に掲載されている。

『天声人語』、かなりいい条件ですが、私たちが普段書く文章に、この条件は望むべくもありません。
私たちが自分史のために書く文章は、だいたい1話が原稿用紙5枚から10枚くらいのサイズになるでしょう。場合によってはもっと長いかもしれません。
その文章の中で、もっとも大切なのは、筆者が「一番伝えたいこと」ですね。
「起承転結」の文章では、「一番伝えたいこと」は、多くの場合、「結」の位置に書かれています。
(ときには「転」の位置の場合もあるでしょう)

私たちが書く文章では、「一番伝えたいこと」は、もっと早めに出したいのです。
「起承転結」では間延びしてしまいます。
最初の部分を読み出した人が、
「なにが言いたいのか、よくわからない」
「間延びしていて、読むのが面倒くさい」
「要点だけ読みたいのに、どこに要点が書かれているのかわかりにくい」
と、あなたの文章を投げ出してしまう人がいることも考えなければなりませんね。

そんなわけで、話は元に戻りますが、「師匠の文章の設計図を真似る」ことが、有効になるわけですね。

起承転結って、なんだろう? 

文章の構成には、「起承転結」という考え方があります。
「文章は起承転結で書け」と、国語の授業で教わったことを覚えている方もいるでしょう。
でも、実際に文章を書くときに、「起承転結では、なかなかうまく書けないなあ」と感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

そもそも、「起承転結」とは、漢詩の五言絶句、七言絶句の構成として考えられたものです。
たとえば、「春眠暁を覚えず」という有名な言葉、眠気の言い訳みたいに使われていますが、もともとは、孟浩然の漢詩から生まれた言葉です。

  春眠不覚暁(春眠暁を覚えず)
  処処聞啼鳥(処々に啼鳥を聞く)
  夜来風雨声(夜来風の声)
  花落知多少(花落つることを知る多少ぞ)


この詩の「起承転結」の構成を考えてみると、
「起」は、導入部。どんな世界観で、どんなことを詠もうとしているかを提示します。
「春は早起きができなくて、起きたのはすっかり夜が明けてからだった」
「承」では、導入部で語ったことをさらに補足します。
「いろんなところで鳴いている鳥の声が聞こえてくる」
「転」では、「起承」から来た物語をガラッと変えてみます。読者の意表を突いて、新しい展開を示します。
「そういえば、昨夜はずっと風雨の音が聞こえていたなあ」
「結」は、物語の締めくくり。結論や作者の感慨を示します。
「花ももう、ずいぶんと落ちてしまったのだろうな」

「起承転結」がぴったり当てはまります。
でも、これは、定型詩だからできるこそできる構成なのではないでしょうか。
定型だから、文章は同じ長さで4つのパートに分けられます。
短い文なので一気に読めますから、文の展開がはっきり見てわかります。
(象形文字である漢字の連なりですから、中国の人には読まなくても見ただけでわかるのかもしれませんね)

一方、私たちが書こうとしている文章は、定型でもなく、見てわかる文章でもありません。
そのまま「起承転結」の構成は当てはめにくいと考えた方がよさそうです。

野生動物も、人も隔てなく。『先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!』 <自伝・自分史・その周辺19> 

「人と社会と自然の共生を目指す人材の育成」を目標に掲げた鳥取環境大学。
そこでは、野生動物と人間が、校舎で、校庭で、大学林で、まさに共生しています。
巨大コウモリが廊下を飛び回るのは序の口で、実験室で飼っていたヘビとハムスターが同時に逃げ出す。
ヤギに頭つきを喰らう。
子どもを守る母アナグマに襲われる。
そんなことは、日常茶飯事。
動物行動学、人間比較行動学を研究する小林朋道教授は、野生動物たちが引き起こすアクシデントに胸躍らせます。

アクシデントにわざわざ遭遇している感もあります。

(ヘビを手なずけるために)ヘビの喉へ入れた肉を奥へ奥へと押し込んでいたときだった。ヘビの口が閉じてしまったのである。
 そのときはじめて実感したのだが、ヘビの歯は手前から奥の方に列になって生えているのだ。つまり、一度獲物を口の中に入れてしまうと、歯が“返し”のような機能を果たし、もがけばもがくほど奥の方に移動するようになっているのである。

小林先生の指が呑み込めないと悟ったヘビは、最後には吐き出しますが、指の数箇所からは出血していました。
聞くだにゾッとする話ですが、被捕食動物の恐怖を体験した小林先生は、

 指が吐き出される感触も味わえた。

なにやらひどく喜んでいる様子です。
野生動物への愛は半端ではありません。
その先生は、また、野生動物とのアイコンタクトで結ぶ特別な関係をこよなく愛しています。

でも、
「先生~!大変です。巨大コウモリが飛んでいます」
「先生~!大変です。アオダイショウが逃げ出しました」
「先生~!大変です。ドバトが巣から落ちました」
と駆け込んでくる学生や大学職員に向ける眼差しも、結構やさしい。
野生動物を見守る庇護者としての眼差しと、人間を観察する眼差しも同質のものなのかもしれません。

野生動物も、人も隔てなく。

これぞ、「人と社会と自然の共生」なんですね。

『先生、シマリスがヘビの頭をかじっています!』
『先生、子リスたちがイタチを攻撃しています!』
続編も、続々出版されて、大学の動物たちから目が離せません。

かなり乱暴な文章作法。 

「師匠の真似をしろ」と、しつこく書いている私ですが、考えてみると、これって、乱暴な話ですよね。
「真似」という言葉には抵抗ある人も多いでしょう。
でも、このブログで伝えたいのは、「どんな方法でもいい。書き出してほしい」ということです。
「いまはまだうまく書けないから、うまく書けるようになってから書き出そう」
そう考えているのなら、時間のロスです。
書きながらうまくかけるようになればいいのです。
そのために、いますぐ、書き出せる方法を提案したいと思っています。

かなり乱暴な文章作法でも、とにかく書けるようになればいい。
ご賛同いただければ、幸いです。

メルマガ20号(とうとう20号!)は、9月4日(金)午前中に発行します。
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師匠の文章の設計図を真似る。 

師匠の文章を分解・分析する方法を、もう少し詳しく考えてみましょう。

文章を一読して、すぐに筆者が言わんとしていることがわかる文章があります。
作者が、わかりやすい文章を書くことを信条としている場合は、言葉の選び方も平易で、一文の長さも適度で、読みやすく書かれていることでしょう。
そういう文章では、書かれている内容を読み取るのは比較的簡単です。
でも、難しい単語が多く、レトリックが凝っている文章では、一読で筆者が一番伝えたいことを読み取れない場合があります。

前回の「師匠の文章を分解・分析する」のようなやり方で、一つ一つの段落にABCを振って、それぞれに書かれた内容を要約してみます。
すると、わかりにくかった文章のかたまりが噛みくだかれて、読み取れるようになり、文章全体を理解できるようになります。
そこで、はっきり見えてくるのが、「筆者が一番伝えたいこと」です。

文章を分析する目的は、筆者が一番伝えたかったことがなにかを知ることなのですね。
「筆者が一番伝えたいこと」、すなわちそれが、その文章全体のテーマです。
当たり前のことですが、文章って、結局、一番伝えたいことを伝えるために書くものなのです。
どういう構成で、どういう文体で、どういうネタやエピソード、データを用いて書けば、「筆者が一番伝えたいこと」を的確に伝えることができるか。
その目的のために、考え、悩み、試行錯誤するのが「文章を書く」ということなのだと思います。

小・中学校の国語のテストのあの七面倒くさい問題も、実は、一番伝えたいことはなにかを見極める力を身に付けることが目的だったのですね。
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