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「嫉妬」という芸の肥やし。『赤めだか』立川談春 <自伝・自分史・その周辺40> 

これまで弟子たちが、師匠、立川談志の言動をネタに書いた本は、いったい何冊上梓されているのでしょう。
最近では、立川キウイ「万年前座 僕と師匠・談志の16年」という本が出ました。
まだ読んでいませんが、この本もおもしろいらしいです。

「赤めだか」で描かれた談志師匠も、ご本人の落語に負けず劣らずおもしろい。

もちろん、本の主題は立川談春の半生記です。
「サラリーマンより楽らしい」と、不埒な理由で噺家になるべく立川流へ入門。
年の近いライバル立川志らくと張り合いながら本物の噺家になっていく。
でも結局、最後の感想は「わあ、談志、おもしろい!」というものになってしまいます。
立川談志、面目躍如です。

 「己が努力、行動を起さずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。
一緒になって同意してくれる仲間がいれば、さらに自分は安定する。
本来なら相手にならび、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。
嫉妬している方が楽だからな。
芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だが、そんなことで状況はなにも変わらない」

立川談志が、古今亭志ん朝に嫉妬したように、同門のライバル志らくに激しく嫉妬し、その活躍に焦る談春を諭した言葉です。

「その行動を起せない奴を俺の基準で馬鹿という」

芸人としての業の、なんと深いこと。
「名人談志」と呼ばれるに至るまでに、この人は、どれだけ他の芸人たちに嫉妬してきたのでしょうか。
嫉妬という葛藤の中から、自らの芸を昇華させてきたのでしょう。
それを経験してきた談志だからこそ、弟子にこんなことが言えるのでしょう。

談志自身は、落語協会を飛びだし、師匠である柳家小さんには破門され、立川流を創始しました。
小さん師匠とは、公には最後まで和解することがありませんでした。
小さんの葬式に出なかった談志は、談春にこう言ったそうです。

「葬式、つまり儀式を優先する生き方を是とする信条は談志の中にはないんです。そんなことはどうでもいい。何故なら……

談志の心の中には、いつも小さんがいるからだ」



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「世界を変えること、やってる?」by 井口尊仁さん 

2,3週間前のメルマガ「1日10分 1年で作る自分史」38号で、
i Poneのアプリ、「セカイカメラ」のことを書きました。

すごいテクノロジーらしいけど、使い方がわからない。

という感想を述べたのですが、今朝の朝日新聞の「ひと」欄に、そのセカイカメラ開発者の記事がありました。

そもそもセカイカメラとは、

ディスプレーに映し出される被写体に、エアタグという吹出が重なる。
自身のプロフィル、写真であったり、「つぶやき」であったりする。
人や物や場所に、誰かが情報を貼り付けると、他の人も共有できる仕組みだ。


「世界を変えること、やってる?」

というのは、起業して、細々とネットビジネスをしていた井口さんに、元同僚がハッパをかけたときの言葉だそうです。

セカイカメラは、世界を変えるのでしょうか?


メルマガ「1日10分 1年で創る自分史」41号、
29日金曜日に発行します。
ブログでは取り上げない記事も載っています。
まだご登録されていない方は、こちらから、ぜひ、どうぞ。

http://archive.mag2.com/0000289134/index.html


栞(しおり)メモを作る。 

小説やエッセイを読んで、文章力を磨くのに有効なのは、以前ご提案した「文章コレクションを作る」という方法だと思います。

でも、「新たな知識を情報として吸収する」ためには、これとは別にとっておきの方法があります。

「自伝・自分史・その周辺」という記事を書くために、私は1週間に1冊の本を読むことを自分に課しています。
これを毎週、滞りなく、原稿を落とさないように完遂するために開発した読書法、それが、「栞(しおり)メモ方式」です。

普通に読んでいるだけでは、どこに重要なことが書かれているか、わからなくなってしまう。
それを防ぐために考えた「栞メモ方式」、結構使えるやり方なんです。

まず、A4のコピー用紙を半分にします。つまり、A5サイズ。
1行目に、本のタイトルと作者名を書きます。
縦書きでも、横書きでも、やりやすい方で結構です。
これをまた半分に折って、本の栞として利用します。
(まあ、用紙のサイズはなんでもいいのですが、私はこのサイズがいちばん扱いやすい)

本を読んでいるとき、「ここ、大事なところ」という文章を見つけたら、それを抜き書きします。
あまり長々と書く必要はないと思います。
キーワードを含んだ文を30字から40字くらい抜きだせば、文意は通るでしょう。
読書習慣として続けていくためには、作業が億劫になっては意味がありません。
短いけれど、書かれた内容が象徴的に表現されている文、全体の要約ができているような文を抜きだしてください。
そして、書きだした文の最後に、本の頁を書き入れておく。

この栞メモ方式で本を読んでいくと、1冊読み終わると、数個から20個を数えるくらいの文が抜き出されているでしょう。
いま読み終わった本の中で、感銘を受けたところ、情報として見逃せないと思ったところ、ぜひやってみようと思ったところ、友人との会話のネタにしようと思ったところ、いろいろな文が並んでいることでしょう。
それをもう再度読み返してみて、その中から特に重要だと思う文を、大切な順に3個選びます。
それが、その本の内容を要約するときに、そのまま使える3個の文になっているはずです。

栞メモをそのまま読書ノートに貼り付けてファイリングします。
「あの本、どんなことが書かれていたっけ?」と思ったときに、その読書ノートを開けば、立ち所に記憶が甦ります。
読み返すときには、大切なことが書かれた頁がすぐに開けます。

「書くこと」を意識した読書法。 

このブログでは、あまり文章を書き慣れていない方が、短時間に、確実に文章力をあげていく文章作法をご提案しています。
文章を書くレッスンに使える時間は、「1日10分」。書く分量は、原稿用紙1枚前後と決めました。
でも、それだけでは十分とはいえません。
「書く」以外に、日常の生活の中でも、文章修業を気軽に続けられるようにしたいのです。
しかも、できるだけ省エネルギーで、効果的であればいうことありません。

たとえば、普段の読書。
なんのために、本を読むかといえば……。

◆文章を味わい、ストーリーを楽しむ。

小説やエッセイを読む目的は、これです。

五感を開いて、文章をじっくり味わう。
美しい文、明晰な文、感動する文と出会ったら、楽しむと同時に、なぜ自分の心がその文に反応しているのかを考えてみてください。

◆ 新たな知識を情報として吸収する。

専門分野の本やハウツー本の目的は、これです。
文章を味わうわけではありませんが、書かれている内容を正確に把握することが必要です。
文章の中で、自分にとって重要な部分を見つけて、抽出する力が求められますね。

「書くこと」を意識しながら、日々の読書に臨んでみることにしましょう。
読みながら、文章力を磨くということができれば、一石二鳥。
少しの意識転換で、文章が上手くなったら、いうことありませんね。

NHKハイビジョン特集 シリーズ東京モダン「ナオキ」 

来週月曜日から1週間、
BSハイビジョンの午後8時から、
シリーズ東京モダンがオンエアになります。
5人の外国人ドキュメンタリー作家が、
いまの日本を独自に捉えて表現した5本の作品が揃います。

月曜日の「ナオキ」。
これ、私も観るのははじめてなのですが、
数々の賞を受賞したドキュメントです。

バブルを体験した実業家だったのですが、
事業に失敗して、いまは、アルバイトをしながら、
26歳年下の女性と同棲するナオキさんが、主役です。

それまでの日本男性のイメージと全然違う、
繊細でやさしい印象のナオキさんが、
ヨーロッパで大人気というインターネットの記事で、
私はナオキさんの存在を知りました。
ぜひ、見てみたいと思います。

ナオキ
http://www.webdice.jp/dice/detail/2010/

他にも、いろいろ気になる作品があります。

ハイビジョン特集
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2010-01-25&ch=10&eid=29657

死の傍らで生きること。『世界は危険で面白い』渡部陽一 <自伝・自分史・その周辺39> 

中学生のとき見たビールのCMで、「戦争カメラマン」になる自分を予感した。
大学生のとき行ったアフリカで、はじめて人が殺されるのを目の当たりにし、友人に「戦争カメラマン」になることを伝えた。

こんな生い立ちを持つ渡部さんは、根っからの「報道カメラマン」です。
でも、この本の前半「アフリカ編」あたりまでは、なかなか「報道カメラマン」が伝わってきません。

新聞社にも雑誌社にも所属することないフリーカメラマン。
あくまでも自分の直感に従い、行き先を決める。
道なき道を行き、危険ある方を選んでいるかのように進んで行く姿は、報道カメラマンでもジャーナリストでもなく、「冒険家」という呼び方こそふさわしい生き方です。

マラリアに罹り、野犬に襲われ、モスクに監禁され、空爆に襲われ……。

行く先々で出会うトラブルは、つねに、死の淵のギリギリのところまで彼を運んでいきます。
なぜか、渡部さんは、その危険に喜々として立ち向かっているような印象を見せてくれるのです。

でも、やはり「報道カメラマンだ」と納得させられるのは、
2004年にイラク・バグダッドで、米軍の従軍取材をしたときのことです。

バグダッドの米軍キャンプに毎日送り込まれてくるのは、女性を含む20代の若者たち。
大学進学への学費や結婚資金を稼ごうという、現実的な目的で、高い報酬の仕事を求めてやってきた、“普通でまとも”な感覚を持った青年たちでした。

渡部さんは従軍カメラマンとして彼らと寝食を共にし、装甲車や武装ヘリコプターで毎日最前線へでかけていました。

 そこから見えてきたのは、兵士たちが次々と簡単に死んでいくことと、
生きのびても次の日に再び生きてキャンプ地に戻れるかわからないということだった。
 パトロールと称した“死の行軍”が毎日繰り返されていた。

 安全であるはずのキャンプ地にも連日砲弾が撃ち込まれる攻撃が続き、兵士たちは戦わずにして命を落としていった。
 “普通でまとも”な若者兵士たちは戦友たちが目の前であっけなく死んでいく姿を見続けていた。

戦友の死から彼らは、自分を守る唯一の方法を学びます。

 殺される前に相手を殺すこと。常にこちらから攻撃をしかけること。
 それが生きて母国に戻り家族と再会できる一番確実な方法であるということだ。


「確実に生きる術」を手に入れた青年たちは、それとは裏腹に、精気を失い、うつろな表情になっていきます。
戦場での試練を乗り越えて、帰国した後も、彼らは戦場の後遺症に苦しめられます。

「世界は危険で面白い」という、ノリだけで決めたようなタイトルの中に、渡部さんの深い思いが込められているのかもしれません。



「真似るメモ」を作る。 

「文章コレクション」の目的は、どんな文章が五感に訴え、心に響くのかを研究することです。
でも、そのままを真似られるものではありません。
だったら、ついでに、そのまま真似てしまう「真似るメモ」も作ってしまいましょう。
わざわざもう一冊ノートを作る必要はありません。というか、そんなに何冊もノートを作っても使い分けできませんよね。

本を読んでいて、ことわざとか、四字熟語とか、慣用句とかすごく上手に使いこなしているのを見つけたら、それがどんなシーンで、どんなふうに使われていたのか文章コレクションノートの片隅に、メモっておきましょう。

ことわざ、四字熟語、慣用句といったものは、うまく使いこなせる人が、ぴったりはまるシチュエーションで使えばピリッと効いた文章のスパイスになります。
使いこなせていない人が、そんなに合っていないシーンに無理やりはめこもうとすると、どうしても浮いてしまいます。
かなり背伸びをして書いている印象になって、とてもはずかしい文章になってしまいます。

逆に、日常語の中に定着していて、いつも使っているものは、「紋切り型」の印象が強く、文章全体を古くさいものにしてしまいがちです。

文章力があからさまに出てしまうのが、ことわざ、四字熟語、慣用句のたぐいなのです。

「軽重の鼎を問う」とか、「愛憎相半ばする」とか、「肝胆相照らす」とか、「巧言令色」とか、「切歯扼腕」とか、一生に一度くらいは使ってみたいと思うことわざや四字熟語がいろいろあります。
でも、いま私が書く文章に、こんなフレーズが出てきても、浮いてしまうだけです。
「いつか、どこかで、使ってやるぞ。これらのフレーズが浮いてしまわない、ぴったりの文章を書くときには、必ず使ってやるぞ」という気持ちで、せっせと、真似るメモを作っています。

「文章コレクション」を作る。 

五感に訴える文章が書けるようになるために、つねに五感に訴える文章に敏感でありたいと思います。
本を読むとき、雑誌を読むとき、いつも傍らにノートを一冊置いておきましょう。
五感に訴える文章、あるいは心に響くフレーズを見つけたら、すぐにそのノートを開いて、書き写します。
本のタイトル、どんなシチュエーションで出てきた文かも、簡単にメモしておくといいですね。
読書をいちいち中断して、ノートを開いて文章を書き写すのは、少々面倒くさい作業かもしれません。
面倒だけれど、続けてみてください。
そうやって、読んだ文章の中から少しずつ気になった文章を拾いだしていくと、文章コレクションが増えていきます。
この作業がなんの役に立つかというと……。

ずしんと響いたのは、五感で感じ取った文章です。
でも、感じ取るだけでは、その文章のなにが自分に訴えかけてきたのかはわかりませんよね。
書き写すことは、五感で受け取ったものを、一度自分の脳を通して理解する作業です。

つまり、
「感じる」→「書き写す」→「確認する」→「分析する」→「理解する」
このプロセスが大切なんですね。
この手順を踏むことで、どんな文章があなたの五感に訴え、心に響くのかが、だんだんわかるようになります。

誰かが書いた文章は、書き写すことで、咀嚼し吸収できます。
それは次に、自分が文章を書こうとしたときに、栄養になってくれます。

文章コレクションをどんどん増やしていって、あなただけの文章コレクションノートを作ってください。
ときどき、ノートを読み直しては、「やっぱり、この文章はずしんとくるなあ」とか「うーん、こういうことが書けるのって、カッコいいなあ」とか、味わってみてください。
それが、あなたの文章力のエネルギーになるはずです。

「百合の贈りもの~阪神大震災15年の軌跡~」 

ある友人からメールをもらいました。
彼女は、15年前に、神戸で姪、中北百合さんを亡くしました。
そのとき、百合さんは14歳でした。

最愛の娘の思いを抱えて、15年間を生きてきたお母さまを、
読売TVが取材し、1本のドキュメントができました。

放送は24時50分(月曜0時50分)からなので、
オンエアを見るのは難しいかもしれませんが、
ぜひ、ビデオに録ってご覧ください。
番組詳細は、こちらで。

NNNドキュメント’10
百合の贈りもの    阪神大震災15年の軌跡 

http://www.ntv.co.jp/document/

理不尽を知る。『妻が、突然倒れたら』松本方哉 <自伝・自分史・その周辺38> 

フジTVの夜のニュース番組で、滝川クリステルさんの斜め後に座って、解説をされていた松本方哉さんが書かれた、夫人の闘病記です。

この本は、突然の病に対する私たちの想像力のなさを、痛切に気づかせてくれます。

たとえば、救急車のこと。

信号を渡ろうとするとき、サイレンを鳴らしてやってくる救急車に出会うと、
「救急車だよ。こっちも急いでるんですけど……」
と、心の中で呟いてしまったこと、一度や二度ではありません。
この本を読んで、そんなときの自分の想像力の欠如を、本当に申し訳なく思いました。

救急車に乗っている人の痛みや苦しみを、自分の痛みや苦しみのように想像してみること。

 木曜日の夕方だった。道は混んでいて、救急車は車と車の間をぬうようにして走る。
 「われ関せずとばかりに、行く手をふさいで動こうとしない車もいる。
 そのたびに救急車は、そういった車を迂回しようと、大きく速度を落とす。
まるで障害物競走でもしているようだ。
 救急車の窓を開けて、怒鳴りつけたくなってくる。
 「どいてくれ。人間の命をなんだと思っているんだ」



くも膜下出血で妻が倒れたとき、四十六歳。十歳の息子がいました。
思いも寄らぬ不幸に襲われ、それまで家庭を妻に任せきりにしていた仕事人間の夫の生活は一変します。

一命を取止めたものの、妻には高次脳機能障害が残りました。
長い闘病、夫と息子には果てしない介護の日々が続きます。

妻は、世界的な賞を数多く受賞しているビスクドール人形の作家でした。
しかし、左半分の視野が認識できなくなってしまう障害により、そのキャリアを諦めざるを得ませんでした。

杖を突きながらもやっと歩けるようになっても、人々の無神経な視線にさらされます。

 どの視線も、まったく遠慮というものがなかった。物珍しげの視線も、また、なぜか、腹立たしげな視線もあった。
 私にはまったくはじめての経験だった。
 私は、声を上げて怒鳴りつけてしまいそうな自分を必死に抑えていた。

また、別のある日、家の近くのイタリアン・レストランで食事をしようと思い立った日のこと。

 お昼前で、客はまだ一人もいないようだった。
 レストランの前には、その店のオーナーか、コックらしい男性が立っていた。
 「食事がしたいのですが、空いていますか」。私は妻が転ばないように気をつけて歩きながら、その人物に声をかけた。
 「いっぱいだよ。今日は予約がいっぱいなんだ」。
 男性は、私たちを見ると、ひと呼吸置いて、そういった。冷たい目で、妻を見ていた。
 妻が差別されたと思った。


 突然、妻が倒れたら……

こういう理不尽な人間たちがいて、こういう理不尽な世の中だということを思い知らされる。

それは、いつ自分に振りかかるかもしれない試練です。
せめて、病に倒れた人とその家族の痛みへの想像力だけは持っていたいと思います。



「福袋を買うというコトを買っている」by天野祐吉 

今年も、福袋商戦は大盛況だったらしい。
今朝の朝日新聞の「CM天気図」に、天野祐吉さんが書いていました。

 昔はほしいものがあった。たくさんあった。が、いまはそれがない。
それでもみんななにかはほしい。そのなにかが、あの袋の中に隠れているのかもしれない。
 そんな思いが人を福袋に向かわせる。
だから、福袋を買うのは、モノを買っているようで、実はモノを買っているのではない。
 福袋を買うというコトを買っているのであって、中に入っているモノは二の次なのだ。

「買うモノ」ではなくて、「買うコト」に振り回されていたのですね。
そんな心理を、なんとかしたいと思います。

ところで、メルマガ39号、
1月15日(金)に発行します。
ご登録、お済みでない方は、ぜひ、こちらから、どうぞ。

http://archive.mag2.com/0000289134/index.html

人の文章を五感で味わう。 

まだ若かったとき、私自身の本の読み方は、たいへん性急なものでした。
本は、情報を取り込むためのメディアであり、それ以上でもそれ以下でもないと考えていたせいでしょう。
200ページの本の中で、自分にとって必要な情報が10ページ分あるとしたら、それがどこにあるかひたすらページを繰って探すような読み方。
文章そのものを楽しむよりも、ただただ、仕事に役立つネタを探すような読み方。
小説であっても、読みたいのはストーリーのみ。行間に込められた作者の思いなどは二の次でした。

その当時は、自分がそういう性急な読み方をしていることに、気がついていませんでした。
でも、いま、遠い昔の自分自身を振り返ったとき、本に対して、本当に失礼な読み方をしていたなあ、と反省します。

 こんなふうに本を読んでも、あんまり楽しくない。

あるとき、ふとそう感じました。
それから、筆者の思いをすべて受け取るように、文章を五感で味わうような読み方を心がけるようになりました。

人が書いた文章を読むとき、意識して、五感を使って読むことをお薦めします。

「それって、どんな景色なんだろう?」「どんな風が吹いているんだろう?」「どんな音が聞こえるのだろう?」「どんな香りが漂っているのだろう?」

そういうことを、五感を使って、文章から読みとるように心がけてください。
ざっと、言葉の連なりを目で追っていくだけの読書より、少し余分に時間がかかります。
でも、つねに感覚を開いた状態にして本を読んでいると、あなたの五感を強く揺り動かす文章に出会うことがあるはずです。
真似るべきは、そういう文章です。
どういう表現が、あなたの五感にずんと響いたか。
響いた文章をしっかり咀嚼して、味わい尽くしてください。

そういう読書を意識して続けていくと、いつか、あなたが書く文章に、それが生かされていくでしょう。
読み手の五感にストレートに伝わる文章がかけるようになるはずです。

「頭」より「五感」で。 

「五感を総動員して書く」という話を、前回しました。
五感を使った文章が書けるようになると、読む人にぐっと伝わりやすくなります。

「視覚」「聴覚」「味覚」「臭覚」「触覚」の五感の体験は、多くの人が共通に持っています。
その感覚を呼び起こす文章に出会ったときに、「あ、あの感じ」と、筆者の感覚を自分も一緒に体験したかのように再現することができます。
五感に訴える文章を読んだときには、頭ではなくて、まず身体のどこかで反応してしまうような感覚を体験したことがありませんか。

描かれた風景が目に見えるようだったら、読む人は筆者とともにその風景の中にいる自分を感じることができるでしょう。
「おいしいもの」について書かれた文章を読むと、筆者と一緒にその料理を目の前にした感じを味わうでしょう。
池波正太郎や向田邦子の食エッセイを読むと、思わず喉がごっくん鳴ってしまう。ただ私が食いしん坊なだけでしょうか……。

逆に、あまり五感に訴えてくれない文章は、ときに読みにくいと感じることもあるのではないでしょうか。
筆者が頭だけを使って書いたと思われる文章を読んだときのことを思いだしてみてください。
読んでいる文章の文意がわからなくなって、「あれ、あれ、それってどういうこと?」
「わあ、むずかしくて、わからない」最後は投げ出してしまうこともあるでしょう。
もちろん、広い知識や未知の情報を提供する文章では、なかなか五感に訴える表現と出会うことはないかもしれません。
それでも、論理的展開の中に、五感に訴える文があると、突然文章がすーっと入ってくることがあるでしょう。
つまり、頭で考えた文章を、頭で理解することより、五感で感じた文章を五感で味わうことのほうが、より伝わりやすいのですね。

性同一性障害を越えて。『あなたが僕を知ったとき』前田健裕 <自伝・自分史・その周辺37> 

なにかの間違いで、女の身体に生まれついてしまった男性。
本当の「性」を取り戻すための彼の二十四年の闘いの記録です。

性同一性障害を抱えた人の多くは、家族や友人から理解されることなく、不一致の違和感を抱え込んだまま生きていかざるを得ない状況にあります。
勇気を持ってカミングアウトするには、職場での奇異の目にさらされ、露骨ないじめに遭遇する覚悟をする必要があります。

どうしても男性の身体に戻したくて、病院に相談に行っても、それを受けとめてくれる医師は、日本にはほとんどいません。

幸運にも、性別適合手術の経験があり、親身になって患者に寄り添ってくれる医師に出会えたことで、前田さんの長年の夢の実現が見えてきました。

手術の可能性が見えてきて、彼は中学生の頃から吸っていたたばこをきっぱりやめ、健康に気を使うようになります。

 男になるためなら、なんでもできる気がした。
 女でいるときには人生なんてどうでもよかったと思っていたのに。
 極端な僕。
 昔からそうだった。僕は、女でいるときは死にたいくらい嫌でつらく、
 男でいるときは死んでもいいくらい楽しく、幸せだった。


でも、夢の実現に向けては、乗り越えなければならない多くの障害があります。
タイに行って受ける3回の手術に、500万円の費用。

その費用を貯めるためには、身分が不安定なアルバイトでは駄目だ。
彼は、派遣社員で入った会社で、少しずつカミングアウトしながら、公私にわたってサポートしてくれる人を増やし、正社員の身分を得ます。

計画実現に向けた決意と、戦略の展開が見事です。
これから、性別適合手術を受けようとしている人には、彼がとった行動の一つ一つががとても参考になると思います。

手術そのものも非常にリスキーなものでした。
身体が手術を受け付けない場合もありますが、1回目の手術をはじめてから、2回目以降の手術が不可能だとわかるケースもあります。
感染症その他で命を落とすことも少なくありません。

 手術がしたい……。命をかける。命との引き換え。
 男の体になるということは、そういうことだった。
 それでも、やるのか?それでもやる価値はあるのか?
 はい。あります。
 自分に問いかけ、自分で答える。僕は、馬鹿じゃない。
 本気だ。生きるために本気だ。これから普通の幸せを手に入れたいから。
 もう、この体のまま生き続けていくことはできないから。


この本は、実際に性別適合手術を受けるかどうか、いま迷っている人のために書かれた本です。
前田さんは、この手術によって、よき伴侶と家族や友人の相互理解という素晴らしい果実を得ました。
でも、すべての人がそれを得られるわけではない。
もしかすると、手術をしなくても、自己一致できる生き方があることも示唆しています。


「ベストを尽くして、我慢する」 カリスマ農家 金子美登 

昨日オンエアの「プロフェッショナル」に登場した金子美登さん。
無農薬の有機農法の第一人者だそうです。
40年前、有機農法をはじめたときには、近所の人から、
「変人だから」と言われて、まったく相手にされていませんでした。

苦労を重ねて、有機農法を成功させた金子さん。

彼の言葉が、「ベストを尽くして、我慢する」

害虫や疫病にたいして、できる限りのことはするが、結局農業は天候自然に左右される。
自分でコントロールできないことは、我慢するしかない。

「諦める」ではなく、「我慢する」

この言葉には、次の成功への確信が込められていると思いました。



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五感記憶を総動員して書く。 

実物を目の前に置いて書くときは、「視覚」を最大限に使います。
でも人間の感覚には、視覚以外にも使えるものがありますね。

目の前の実物が、子供の頃手作りしたぬいぐるみだったら、触ってみることで、素材の手触り、ぬくもりが感じられるはずです。
匂いを嗅いでみると、子供の手のひらの匂いや、なつかしい部屋の匂いが甦るかもしれません。
そのぬいぐるみで遊んだ日々の記憶が鮮明に思い出されることになるでしょう。

腕時計なら、触ってみることで、買ってもらったときの喜びを思いだすでしょう。
耳に当ててみると、カチカチいう秒針の音が、数十年前の記憶を呼び覚ましてくれるかもしれません。
友人と待ち合わせしたときのことや、テストで焦ったことなども、思い出されることもあるでしょう。

「視覚」「聴覚」「味覚」「臭覚」「触覚」
五感記憶を総動員することで、文章に奥深さを出すことができるのです。

実物が目の前にない場合も、五感を働かせるようにして書いてみましょう。

修学旅行のことを書くなら、視覚的な記憶はもちろんですが、「聴覚」記憶もたくさんあるでしょう。
会話や人の声ばかりでなく、川のせせらぎや鳥の鳴き声、風の音など、旅行先で聞いた音は多いですよね。
脳の「味覚」記憶をひっくり返せば、修学旅行で食べたおいしいものが思いだせますね。
その土地土地に独特の匂いがあります。はじめて訪れた土地の匂いを、結構はっきり思いだすことがあります。「臭覚」記憶も働かせてみましょう。
「触覚」記憶は、思わず触ってしまった巨木の木肌の感触や、石灯籠の手触りを甦らせてくれるでしょう。
手を繋いだ友だちのぬくもりなんかも思いだせたらうれしいですね。

五感を総動員して思いだした記憶を、文章の中に入れ込んでいく。
頭の中で考えているだけでは書けない、臨場感ある生き生きした文章になるでしょう。

そして、五感を総動員して書くことをつねに心がけていると、自ずと実際の生活の中でも、五感を使って書くための材料を集めるようになります。
自然に自分の周りの音や匂いや手触りに敏感になるんですね。
いままで以上に、書くためのネタが相手の方から飛びこんでくるようになるのです。

実物を見て書く。 

あるテーマを、視覚的に書いていくことで、映像化できるものにする。
文章をデッサンとして仕上げていくわけですから、実物が目の前にあったら、書きやすいのは当然でしょう。

「目に見えるように書く」ためには、「実物を見て書く」ことに勝るものはありません。
見ながら書くことで、観念的で独りよがりの文章になってしまうことを避けられます。

書こうとする対象が小さなものなら、目の前に置いて書くことがいちばんです。
曖昧な表現が少なくなり、具体的でリアリティのある表現を選べるようになるでしょう。

たとえば、子供の頃、手作りしたぬいぐるみ。高校の合格祝いに買ってもらった腕時計。はじめての海外旅行で、自分へのお土産に買った財布。
実際に手にすることができるものであれば、目の前に置いて書くことにしましょう。

それを「虫の目」でしっかり見るわけですが、虫の目の見方もいろいろです。
正面から見る。裏側から見る。上から見る。下から見る。斜めから見る。裏返して中身をまじまじ見る。部分部分を大きくアップして見る。少し離れて見る。
さまざまに見方を変えていくうちに、書きたいことが自然に浮かび上がってくることでしょう。

書くテーマは、目の前に置けるものばかりではありません。
中学時代の修学旅行のように、多くのテーマは、手に取って見ることができないものでしょう。
でも、そのときの写真がきっと残っていますね。それを目の前に置いて書きましょう。
また、行った場所の観光案内や、社寺の情報などをインターネットで引きだして、読んでみると、そのときのことが思いだせるかもしれません。
卒業アルバムも、すぐ手に取れるようにしておけば、そのときの友人たち、先生たちの様子を思いだす手がかりになりますね。

手がかりになるものが多ければ多いほど、視覚化がしやすくなるはずです。
いろいろな手がかりを目の前に置いて、実物を見て書くようなリアリティを表現できるように書いてみましょう。

楽しんで、90歳、『たそがれ詩集』やなせたかし <自伝・自分史・その周辺36> 

B4サイズの大きな本の見開きページに1篇の詩と1点の絵。
詩の文字は2センチ角くらいありましょうか。
印刷物の本文で、いままで見たこともない大きさです。
アンパンマンの作者、今年90歳のやなせ氏が、自分と同世代の、老年を生きる人々のために書いた、正真正銘のユニバーサルデザイン詩集です。

こんな詩があります。

坂道

ほんのゆるやかな
スロープをのぼっても
息切れする
視力が落ちて
難聴で
心臓も心ぼそい
それでも
生きることにまだ飽きない
もっと生きたい
ジタバタしたい


「老人って、やっかいだなあ」と思うものの、90歳を過ぎて、まだ人生を余生と決めつけない、こういう生き方ができることに拍手を送りたいと思います。

こんな詩もあります。


生きる

朝眼がさめると
まだ生きているので
うれしい
とにかく
今日一日は
けんめいに生きよう
衰弱していく
細胞が
いとしくて
心がどんどん
やさしくなる


年をとることで、自立の範囲は狭まっていきます。
他人を頼らないと生きられないようになります。
そんな自分に対して肯定的であれば、他人に対してもやさしくなれるということなのでしょう。

以前、やなせ氏が「徹子の部屋」に出ているのを見ましたが、90歳にして妻子のいない天涯孤独の生活をしていらっしゃるとのことでした。

でも、

数えきれないけど
2000にあまる
ぼくが
この世におくりだした
キャラクター達
天涯孤独と思ったが
どうやらそうではないらしい


読み終わった後、「ああ、老人って大変だなあ」という思いと、それとまったく相反する「年を取るって、楽しそうだなあ」という感想を持つことになります。





2010年 新しい年! 

4月末に、このブログをはじめて、最初の年を越しました。
細々とですが、続けてこられたのは、いつもお越しいただくお客様のおかげ。
感謝に堪えません。

「しんね~ん!」

という、昂揚した気持ちになれない寒い時代を生きている私たちです。
元気を出そうとしても、所詮カラ元気。

でも、ジタバタしながら日々を過さなければならないのが人間です。
私も、ジタバタしながら、このブログを続けて参ります。

みんなが少しずつがんばれば、
少しずつ世の中も良くなっていくと信じて、

どうか、これからも、よろしく、お願いします。





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