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知る義務について考える。『ワニの涙』立松和平 <自伝・自分史・その周辺44> 

2月8日にお亡くなりになった立松和平氏が書かれた紀行文です。
立松さんと言えば、二十年ほど前、「ニュースステーション」のレポーターとして、日本全国、世界各地を旅したルポが忘れられません。

お人柄ゆえなのでしょうか、そこに住む人々の懐深く入り込んでしまう人懐こさ。
栃木弁の訥々とした語り口は、包み込むようなやさしさを感じさせました。
その語り口のままに書かれた紀行文です。
文章の一語一語を、立松さんが傍らで語ってくれているような、ぬくもりが伝わってきます。

立松さんが訪れるのは、けっして華やかな場所ではありません。
旅人の眼には、「なぜ、こんなところにまで、人は住む?」
答えが出ない疑問が沸き起こってくるような土地ばかりです。
たとえば、岩だらけのアラン島。
岩にへばりつくわずかな土は、この土地に住む男たちがつくったものでした。

「いい土でしょう。おいしいジャガイモがとれますよ。ここには岩しかなかったんです。
家を建てたときなどにできた土をどんなにわずかであっても運びます。そこに砂と豚の糞と海草をまぜて土をつくっていきます。海草を運ぶのに、海岸と畑を一日二十回も往復しましたよ」

気が遠くなるような労働を経て、肥えた土地をつくったが、その土の深さは2センチから3センチしかありません。鍬の先はすぐ固い岩にあたってしまいます。そんな土地を、彼らは、さらに広げていこうとしています。

「これからこの土地を畑にするつもりです。五十年もすればいい畑になるはずですよ。息子が使うでしょう。最高のジャガイモがとれます。この畑は父がつくったのです。私も若かったけど手伝いました」

なんと気の長い話をするのだろう。こんな荒地でも人は生きていたのだ。海は土さえも恵みとしてくれるのである。ここでは一握りの土さえも、一個のジャガイモさえも、無駄にすることはできない。労苦の結晶だから。

立松さんの、静謐な紀行文を読みながら、考えたことがありました。

二十年前、私たちが見知らぬ世界のことを知るためには、こんなふうに、その土地へ出かけ、その土地の人々と触れ合い、生き方をルポし、思いを伝えてくれる人がいました。
でも、いま私たちが、たとえば、ハイチの地震のことを知りたいと思えば、まずネット検索をします。事件や事故の映像は、YouTubeで、ほとんどリアルタイムで見ることができます。
キーボードを打つだけで、わかったような気になってしまう。
世界との関わり方が、どんどん鳥瞰図的になってきているのではないでしょうか。
インターネットは人間の「知る権利」を満たしてくれます。でも、「知る義務」をないがしろにしてしまいます。
旅のルポを通じて、立松さんが担っていたのは、人間の「知る義務」を果たすことだったのではないかと思えてきました。
「知る義務」を果たせなくなった私たちの時代。知ってるつもりの世界から、どんどん忘れられていく土地や人々が増えていくのではないでしょうか。



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「伝えたいこと」を座右の銘にする。 

「座右の銘」なるものがあります。
自分が座る右側に、家訓だったり、信条だったりを書いて貼り出しておくことですね。
墨痕あざやかに書かれたものを、つねに眼にし、心に刻み、生き方の戒めとする、そのための言葉が「座右の銘」です。

「ひとりブレスト」で、発想を広げ、つぎに収束させることで、精度を上げた「伝えたいこと」。
それこそ、あなたが書く文章で「伝えたいこと」です。

今度はそれを、紙に大きく書いて、机の横に貼っておきましょう。
その文章を書くとき、「伝えたいこと」がつねに目に入るようにしておけば、それが心の拠り所になります。

文章を書いていると、ときとして文意が不鮮明になったり、論点が複雑になったり、構成がわかりにくくなったり、簡単に処理しにくい場面に遭遇することがあります。
そんなときに、座右に置いた「伝えたいこと」を目にすることで、書くべき文章を再確認することができます。

初心に戻って、「伝えたいこと」を、正確に伝えるために書けばいいのだ、と思えれば、思考がとてもシンプルになります。
迷ったときには、自分がいま書いていることが「伝えたいこと」を伝えるために機能しているかどうかをチェックすればいいのです。もし、違っていたらすぐ軌道修正できます。

文章を書き上げて、推敲するときにも、「伝えたいこと」がきちんと伝えられているかどうかが、評価基準になります。
伝えられていれば、文章として成功。
伝えられていないとしたら、なにを書き足せばよいか、なにを書き換えればよいかを考えます。

「伝えたいこと」を座右の銘にすることで、文章に一本筋を通すことができます。

「伝えたいこと」を質的に高める。 

「ひとりブレスト」の手法を使って、「伝えたいこと」を量的に洗い出しました。
発想を広げるのに、非常に有効なのがこの手法です。
次に、量的な発想を収束させて、質的に高める作業です。

「別に、ひとりブレストの形を取らなくても、考えることはできるよ」
そうおっしゃる方はいるでしょう。
人間の脳は、起きている間も寝ている間も、休まず働いています。
つねになにかを考えています。
でも、その考え方って、結構いい加減だったりすることもありますよね。

たとえば、最近話題になった国母和宏選手の服装の乱れ問題。その問題について、私がどんなことを考えたかを例に取ってみます。

・ニュースであの映像が流れたのを最初に見たときは、音声を聴いていなくて、映像だけ見て、「あの服装がOKって、選手団も結構昔と比べると懐が深くなったのかな」と、まず考えました。
・ 腰パンが問題になっているということを聞いてからは、「スノボって、スポーツと言っても若者ファッションと切っても切れないものなのだから、あれでいいんじゃないの」と考えました。
・ 報道が過熱するさまには、これから競技する選手にわざわざプレッシャーをかける報道は行き過ぎだろうと考えました。
・ 選手団長と国母選手の会見を目にして、報道陣に、「選手の心情を考え、競技以外の報道は、ここまでにしてほしい」と、選手団長が毅然と言うべきなのではないか、と考えました。
・ 国母選手の態度についても、考えたことがあります。
「ファッションについては、僕のスタイルですから、変えることはできません。でも、そのせいで、不快感を感じる方がいることに考えが及ばなかったことについてはお詫びします。今後は、競技での僕にご注目ください」とか説明したら、もう誰も文句は言わないのに。
マスコミを黙らせる対応をきちんと教える大人がそばにいないのですかね、と考えました。

「国母問題」を例に取ってみましたが、こんなふうに人間の脳って、とりとめもなくいろいろなことを、しかも、行ったり来たりしながら、一度に考えます。
思ったことをすぐ否定したり、否定したことをまたすぐ肯定したりすることもあります。

「ひとりブレスト」の次の段階は、

「書く」という目的を持って「とりとめのない考えを収束させることです。

国母問題にしても、どんな視点を持つかで考えを収束させる方向が変わってくるでしょう。
たとえば、
「報道は騒ぎすぎ」
「選手団にリスク管理の体制ができていない」
「国母選手が無防備過ぎる」
「選手はもっとのびのび競技に臨ませてやりたい」

他にもあるでしょうが、そういう視点を持つことで、とりとめのない考えを収束させていくことができるでしょう。

視点を持つことで、「伝えたいこと」の精度を上げ、質的に高めるわけですね。

家族を抱きしめる覚悟。『ビッグツリー』佐々木常夫 <自伝・自分史・その周辺43 

「私は仕事も家族も決してあきらめない」と副題が付いたこの本は、現在東レ経営研究所の社長を務める佐々木常夫氏の奮闘記です。
自閉症の長男、うつ病の妻を抱え、すさまじい責任を一身に背負いながら、家庭人として、職業人として、信じる生き方を貫きました。

心理学の「家族システム」という概念では、家族の構成員は相互に影響し合っていて、その中の一人がなんらかの問題を持つと、それが原因となって別の人に問題が起きると考えます。
そして、その問題がまた原因となって、新たな問題を引き起こします。

佐々木家の長男は自閉症。
しかし、夫の仕事は多忙を極め、単身赴任を余儀なくされる。
責任感の強い妻は、自閉症の長男との関係から、うつ病になってしまう。
その状況に、夫と長女が立ち向かう姿を見て、妻はますます自分の無力を思い知らされ、何度も自殺未遂を犯してしまう。

機能しなくなった家族システムは、どんどん悪循環に陥っていきます。
その悪循環を断ち切ったのは、家族が直面する困難に立ち向かうために、大きく根を張るビッグツリーとなる、佐々木氏の決意でした。

誰にでもできることではないでしょう。
でも、もしかすると、できるようになるかもしれない方法論を、佐々木氏は示唆しています。

 自分の家庭の事情を公表するというか、誰かに話すということは結構勇気のいることである。
やはり、少し恥ずかしい。
 何か自分に弱みがあるというか、会社に知れるとマイナスになるのではないかと考え、隠しておきたい気がするのだろう。
 私の場合、ある程度の人にオープンにしておかないと、何かあった時、とっさの電話が受けられずに不幸な結果になったらまずいと思ったのが、公表した動機である。


その通り、佐々木氏は家庭の苦境を上司である社長に率直に打ち明け、最大の味方を得ます。
また自分の部署では、就業時間内に効率的に仕事をし、長時間労働をなくすことを部下に徹底させます。

しかし、理解者を得る目的で、上司や部下に、家庭の事情を公表、カミングアウトするという当初の考え方は、のちに少し変わったと言います。

佐々木氏の体験談を聞いたたくさんの人が、「自分の家族もさまざまな障害を抱えている」と打ち明けました。
それまで会社に隠していたことを、次々とオープンにしてくれたのだそうです。

世の中に障害を抱える人とその家族は、思った以上に多いのだと知りました。
そして、障害を持っていても生きやすい、多様性を認め合う世の中にするために、「家庭の悩みを隠さないでよい社会」の実現が必要だと思うようになりました。

家族システムをうまく機能させるためには、職場も社会も、大きな家族だと考えればいいのかもしれません。
そんな世の中ならきっと、ビッグツリーも大きく枝葉を伸ばし、家族をやさしく覆うことができるはずです。



4年に一度というプレッシャー。 

オリンピックが毎年開催されるイベントだったら、観客もこんなに興奮しません。

選手が感じるプレッシャーも、4年間分が積み重なっているわけですから、いかばかりでしょう。
4年に一度の祭典で持てる力を出せなかった人は、また次の4年を待つわけですね。

オリンピックに4回とか5回とか出る選手は、人生の半分以上をそういうプレッシャーの中で生きている人がいるのでしょう。
がんばってとは言えません。頭がさがります。
せめて、そのプレッシャーを楽しめるといいですね。

メルマガ、「1日10分 1年で創る自分史」
明日、発行します。
↓こちらから、ぜひ、ご登録ください。

http://archive.mag2.com/0000289134/index.html


「ひとりブレスト」のやりかた。 

ブレインストーミングは、英語で、brainstorming。
brain(脳)を、storm(あらし)にしてしまうことなのですね。
つまり、激しい言葉の応酬で、脳がグルグルまわって、アイデアが次から次へと飛びだしてくる。そんなイメージが「ブレインストーミング」なのです。

ブレインストーミングには、人が出したアイデアを絶対に批判しないという大原則があります。
アイデアは質よりも量を重視します。
そのために、どんなに突拍子のない考えでも、恥ずかしがらずにどんどん出していきます。
そのアイデアに対して、他の人は、「そんなの無理だよ。できないよ」とは決して言わない。むしろ、できそうもないことを面白がって、もっと面白いアイデアを出すように会議を進めていきます。
参加者が、全員遠慮なく発言して、しっかり頭の体操をしたような会議では、きっといいアイデアが出るはずです。


さて、そんなブレインストーミングを一人でやるには……。

目的は、書こうとする文章で「伝えたいこと」を深く掘り下げることです。

ひとりブレストは、メモ用紙にメモを取りながら、一人で声に出してやってください。

・えーっと、この文章で伝えたいことは、やっぱり
 「       A         」ということかな。
・ でも、
「       B         」も、ちゃんと表現したいな。
・ あ、そうだ。「B」を突き詰めていくと、
「       C         」も、外せないことだよね。
・ この機会に、
「       D         」のことも、書いておきたいし。
・ 結局、この文章で言いたいことって、
「       E         」ってことなのかなあ……。

このプロセスは、必ず声に出してやってみてくださいね。
まわりに人がいるとやりにくいでしょうから、一人のときに、しゃべりながらやりましょう。
黙っていてもできると思っても、声に出すことに意味があるのです。
脳を活性化させるには、一度に脳のいろいろな部分を働かせることが大切なのだそうです。

声に出す。
  ↓
それを耳で聞いて、脳にインプットする。
  ↓
手を動かしてメモする。
  ↓
それを目で見て、脳で再確認する。
  ↓
さらに次のアイデアを考える。


脳のあらゆる部分を使って考えることで、大人数で行うブレインストーミングさながら、脳の中に小さなあらしを巻き起こすことができるでしょう。

最近、私自身の実感として、考えていることを声に出して言ってみることは、とても大切なことだと思うようになりました。

自分の声を聞いて、曖昧な考えがだんだん鮮明になっていく。
主観で考えたことを、声に出すことで脳から取りだして、客観的に把握し直す。

このプロセスを持つことが、思考を展開させていきやすくするのでしょう。

ひとりブレストも、黙ってやったら、単なる自問自答ですからね。ブレインストーミングにはなりません。


「ひとりブレスト」のすすめ。 

文章を書き出す前に、まず「伝えたいこと」を明確にしましょう。

「伝えたいこと」が曖昧なまま文章を書きはじめて、なんとか原稿用紙2,3枚書けました。
書けた原稿を読み直してみたら、
「あれっ?最初言っていたことと結論とがまったく逆になっている」
というようなことが、結構あるものです。

「伝えたいこと」が明確でない文章は、いわば、糸の切れた凧。
文章が勝手気ままに進んでしまい、行き着く場所に行き着けなくなってしまいます。
「伝えたいこと」は、文章の出発点であり、同時に終着点。
「伝えたいこと」が明確になった時点で、文章は半分書けたと言っても過言ではないでしょう。

でも、自分が書こうとしている文章で「伝えたいことは、なんだろう?」と考えることって、簡単なようで、それほど簡単なことでもないのです。

だいたいの場合、人間は「伝えたいこと」より「書やすいこと」を優先させてしまいます。
もっと深く「伝えたいこと」を掘り下げれば、もっと共感の得られる感動的な文章になるかもしれないのに、案外浅いところで「伝えたいこと」を決めてしまいがちです。
「伝えたいこと」を深く考えるには、それなりのチャレンジ精神が必要なのかもしれません。

そうならないために、おすすめしたいのが、企業などで会議を活性化し、アイデアを出し合う方法として開発されたブレインストーミングです。広告業界では略して「ブレスト」と呼んでいます。
(*ブレインストーミングについては、こちらで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ブレインストーミング

「ブレスト」と言っても、あなたの文章を書くために、人を集めて会議を開くわけにはいきません。
そこで、このブレストのプロセスを一人でやってしまおう、というのが、私が提案する「ひとりブレスト」です。

やり方については、次回お伝えします。

不思議な符合。 

「自伝・自分史・その周辺」の記事を書くために、私は毎週1冊のペースで自分史関連の本を読んでいます。
かれこれ、10ヶ月になるのですが、最近、珍しい体験をすることがよくあります。

それまで全然知らなかった人がTVに出ているのをたまたま見たら、いまちょうど読んでいる本の作者だったとか。
読んでいる最中の本が、原作になってドラマになるとか。

出版されたばかりの本なら、そういうタイミングでいろいろな展開があるのはわかりますが、結構古い本でも、そういう符合があるので、驚くことがあります。

いま、私が読んでいるのは、佐々木常夫さんという方が書かれた『ビッグツリー』という本なのですが、先日、新聞を読んでいたら、佐々木さんが講師として登壇するシンポジウムの記事を見つけてしまいました。

朝日新聞主催の「働く女性活躍推進シンポジウム」

「女性の元気が日本を変える!」

というものです。
無料で700名招待とあったので、早速申し込んでみました。
いま話題の、勝間和代氏も講演されるそうです。

詳しくは、こちらで、どうぞ。
http://www.asahi.com/diversity/sympo/

老化の自由を楽しむ。『鈍行列車に乗って』井口明久 <自伝・自分史・その周辺42> 

大学病院の院長として勤務し、長年「老人医学」を専門としてきた医師である井口明久先生。
自らの研究対象とほぼ同じ年代に達して、「老人」「老境」「介護」について語った本です。
医学的な裏付けを持ち、自分自身をも事例として客観視できる立場にあって、ちょっと目新しい「老人論」を展開します。

ヘルマン・ヘッセは、『老年の価値』という本の中で、こう書いています。

 「若いとか、年取ったとかいうことは、平凡な人間の間にしか存在しないのです。
 才能があり洗練された人間は喜んだり悲しんだりするのと同じように、あるときは年を取ったり、あるときは若かったりするものです。」


そのことを、著者が自ら実感した同窓会での出来事がとても象徴的かもしれません。三十年ぶりに、故郷で開催された同窓会での体験です。

 座を見渡すと、記憶にない同級生がいた。隣の同級生に「あの人、誰?」と聞くと、「あの人は担任だった先生だよ」と言われた。
 先生は、我々よりは老人に見えると思い込んでいたが、同級生の群れの中にいて、私たちと同年齢に見えた。
 おそらく我々よりも十歳以上は年上だと思うが、いつかしら、私たちは先生の生物学的年齢に追いついてしまった。


似たような体験は、誰にでもあることでしょう。
すごく年上だと思っていた人と、何年ぶりかで話してみたら、同年代の人と変わらない印象だったとか。
あるいは、昔からおばあさんだったけれど、二十年経っても二十年前からさらに全然年を取った感じがしないとか。

科学的には、こういう理由のようです。

 多くの場合、老人の年齢は当たらない。一歳と二歳の区別は容易にできる。小学校との一年生と三年生の区別もできる。
 成長期には、遺伝子が心と体を誘導している。


生命体の役目は遺伝子を後世に残すこと。そのため、生まれてから子孫を作るまでの期間は、遺伝子にしっかりプログラムされている。ところが、その時期を過ぎると、遺伝子から見放されてしまうそうです。
つまり、遺伝子を残す機能を果たせなくなった生命体がまだ生きているということが遺伝子にとっては想定外ということなのですね。

だから、それぞれの個体が自由勝手に自分だけの老化の過程をたどることができる。

 考えようによっては、もはや老人は何物からも監視されていないのであるから、真の自由を獲得したのである。
 そして、いくら長く生きていてもよいのである。


ちょっと年を取ることが楽しくなりませんか?



年賀状で、映画を見よう。 

本当かなあ……。

知人に聞いたお得情報。
東宝系の映画館に、末尾一桁が「1」「4」の年賀状を持って行くと、土日、平日に関わらず、
1000円で映画が見られるとのこと。
↓詳しくは、こちら。

TOHOシネマズお年玉プレゼントキャペーン
http://www.tohotheater.jp/campaign/campaign00000086.html

半信半疑で、昨日やってみました。
年賀状に済みスタンプを押されますが、それで、映画は1000円です。

これで昨日見たのは、

「Dr.パルナサスの鏡」

ヒース・レジャーが撮影中に亡くなってしまった後を、
友人のジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルが同じ役を演じ分けたということで評判の映画です。
途中で変わる必然性もちゃんとストーリーの中にあります。
監督テリー・ギリアムのいたずらっ子ぽいしかけの数々も楽しめました。

お知らせです。
メルマガ「1日10分 1年で創る自分史」43号、
2月19日(金)配信します。
こちらから、ぜひご登録ください。
http://archive.mag2.com/0000289134/index.html

伝えたいことは、なんだろう? 

「自伝・自分史・その周辺」という記事を書くために、私は毎週1冊、自分史関連の本を読んでいます。
ときどき、読んでいる本の終盤にさしかかって、「しまった!」と思うことがあります。
「伝えたいことはなんだろう?」と、探り探り本を読んできて、ほとんど読み終わりそうになってやっと、わかることがあるのです。

「伝えたいことがなにもないのだ、この作者には……」

そこそこ、文章が上手で、作者自身これまでたくさんの本を読んできたことが、書く文章から窺えたりするとなおさらです。
すらすら読みやすい文章に釣られて、おおよそ読み終わってやっと気づくのです。

この作者にとって、「本を書く」ことが目的であって、その内容は、大した問題ではなかったのだ。

少なくとも、伝えたいことがなんだったのか、最後まで私には伝わらなかったというケース。
三日か四日かけて読んだ本に書かれていたことがなんだったのか、読者の皆さまに伝えられない。
「自伝・自分史・その周辺」の原稿が書けない。
ということで、私はその本の記事を書くことを断念しなければなりません。
読んだ時間がもったいない。
読む前に、本の中身を嗅ぎ分ける能力をもっと高めなければならないと痛感します。

でも、「伝えたいこと」が明確にないのに、なぜ、原稿用紙200枚以上の文章が書けるのか、私にはよくわかりません。

こんな悲しい失敗をなくすために、「伝えたいこと」をじっくり考えましょう。
うまい文章を書くこと」以上に、「伝えたいことを明確にすること」が重要だ。

当たり前のことですけど、「伝えたいこと」があって、はじめて人を感動させる、いい文章が書けるのですから。

「書くことへの志」を高く保つ。 

ここしばらく、日々の読書体験を通じて、文章上手になる方法を考えてきました。
小説などの作品を読むときは、ストーリーを味わい、作者の考え方に共感するのと同時に、思わず、「うまいっ!」と手を叩くような文章に出会ったら、コレクションしていこうと提案しました。
文章一つ一つをノートに書き写し、文章を咀嚼、吸収することで、文章力を付けていくことができます。

うまい文章をたくさん集めた文章コレクションは、生きた文章のお手本です。
場合によっては、困ったときにいつでもどこでも相談に乗ってくれる文章の家庭教師にもなるはずです。
書き溜めていけばいくほど、「文章コレクション」の質が上がり、より使いでのあるものになっていくでしょう。

「これはいい文章だ」「この表現には感動した」「この言い回しはカッコいい」
そう思う基準がどんどん明確になっていくわけです。
つまり、自分が書いてみたい文章の基準が目に見えてくるようになるのです。

そして、「こんな上手な文章が、いつか書けるようになりたい」と念じて、繰り返し文章コレクションノートを見返す。その習慣を通じて、あなた自身の「書くことへの志」が高くなっていきます。
「これまで書いてきた文章のいい加減さに、もう我慢ができない」「もっといい文章が書きたい」
自分自身に要求する文章レベルが、さらに、高くなっていくことでしょう。

「書くことへの志」を保つ、同時に書くことがどんどんラクになっていく。
「文章コレクション」には、そういう効用があります。

「夫唱婦随」という生き方。『ゲゲゲの女房』武良布枝<自伝・自分史・その周辺41> 

私が考える「自分史」という概念を、そのままを具現化したのがこの本でした。

武良布枝さんは、『ゲゲゲの鬼太郎』の作者、水木しげるサンの妻。
結婚当初、水木サンは、貸本マンガを描いて収入を得てしました。
しかし、約束の原稿料を当然のように半額に値切る貸本マンガの世界。
質屋通いが日常の極貧生活を、二人は送ります。

仕事場にこもると、何時間も机に向かい、カリカリとペンを動かし続ける水木サンの後ろ姿を見て、布枝さんの心には、夫への尊敬の念が浮かんできます。
当時を布枝さんは、こんなふうに回想します。

私にはマンガの良し悪しはよくわかりませんが、マンガにかける水木の強い思いに、心打たれたのです。
一生懸命に描いている水木の後ろ姿を見ていると、絵が気持ち悪いとか、話が怖すぎるとか、
思ってはいけない、口にしてはいけないと感じました。
来る日も来る日もそういう水木の姿を間近で見ているうちに、
「この人の努力は本物だ」ということを、誰よりも身近な私が、いちばん知っている
……そんな「誇り」のようなものを抱くようになったのでした。

水木サンが生きのびることができたのは、この妻あってこそなのでしょう。

水木は以前、雑誌の編集者に「奥さんはどういう人ですか?」と聞かれて、
「『生まれてきたから生きている』というような人です」
 と答えたそうです。それを聞いたときに、思わず笑ってしまいました。自分でもそのとおりだと思ったからです。

大らかな愛で夫を見守り、つねに水木サンの最大の理解者であり続ける。
「夫唱婦随」という生き方を、これほど肯定的に実行した夫婦は、現代では極めて特異でしょう。
でも、夫妻の誠実さのゆえか、いつの間にか読者も、この古風な生き方に肯定的になってしまっているのです。

紆余曲折の人生を、布枝さんは、「終わりよければすべてよし」と振り返ります。

縁あって半世紀近くも連れ添った水木は、私の目から見ても、たしかに変わっています。
水木の作品はもちろん、言動もユニークなものでした。
それらすべてを理解し共感したわけではありませんが、そういう男性と連れ添ったために、
普通では味わえないような、喜びも悲しみも、誇らしさも口惜しさも経験することになりました。
いま晩年を迎えて、そうした数々の思い出すべてに、私は感謝します。




はじめて読んだとき、「あっ、この人は大丈夫だ」と思いました。by井上雄彦 

尾田栄一郎作のマンガ「ワンピース」の掲載が始まって、満10周年だそうです。
いろいろな漫画家さんが「ワンピース」へのオマージュとして、
登場人物を描いたものが、YouTubeにありました。
↓これです。

ONE PIECE - 10th Anniversary (色んな漫画家が描いたワンピース)
http://www.youtube.com/watch?v=_GA25h9Jcc8

最後の方に出てくる井上雄彦さんが描いた
ルフィーの絵とコメントに感動しました。

はじめて読んだとき、
「あっ、この人は大丈夫だ」と思いました。


ONE PIECE - 10th Anniversary (色んな漫画家が描いたワンピース)
新人を見る目がやさしいんだなあ。

ついでですが、
メルマガ「1日10分 1年で創る自分史」42号、
明日発行します。

まだご登録されていない方、
↓こちらから、ぜひ、よろしく、お願いします。

http://archive.mag2.com/0000289134/index.html

目次と栞メモで、合わせ技。 

目次を100%使いこなすために、私がやっていることをお話します。

まず、目次のコピーを取ります。
目次は、本を読んでいる最中も、すでに読んだところに、どんなことが書いてあったか確認するために、何回か見直すことがありますね。コピーを取って、つねにそばに置いておけば、いちいち本をひっくり返す必要がなくなります。

そして、コピーを取ることによって、目次のレジュメ機能が生きてきます。
本を読みながら、大事だと思ったところに赤線を引く。
その内容に関連して、思いついたこと、さらに調べてみようと思ったこと、関連したことなど、目次コピーの余白に、どんどんメモしていく。

そうやって目次を汚して読んでいくと、1冊読み終わったときに、「しっかり読んだ感」が持てるのではないでしょうか。
それとともに、「栞メモ」で、気になる文を10から20個くらい抜き書きしたものが残ります。
抜き書きした文には頁数も記録してありますから、目次に照らしてみると、どの項目の頁に書かれていた文なのか一目瞭然。

目次コピーと栞メモがあれば、その本については、まあしっかり咀嚼して、自分の栄養にできたと言えるのではないでしょうか。
そして、この2アイテムを一緒にファイルしておけば、しばらくたったあとも、「あの本、どんななことが書いてあったけ?」と、思いだすときに、大変役に立ちます。

また、関連する本をいろいろ読んでみたり、仕事関係の専門情報を集める必要がある人には、内容を整理するときに有効です。
この2アイテムをもって、本そのものの代わりとすれば、内容比較や情報の取捨選択など、とてもやりやすくなります。

読み終わった本の読書記録を取ったり、感想文を書いたりするのは面倒でやってられない、という人でも、このくらいのことならそんなに手間をかけずにできるでしょう。
せっかく読んだ本ですから、読んだ証として残しましょう。

目次情報を使いこなす。 

本の巻頭にある「目次」には、中身のエッセンスが凝縮されています。
本屋さんで立ち読みするとき、まず目次を見るでしょう。
内容が簡潔にわかって、買おうか買うまいかの判断の決めてになりますね。

私が毎週1冊ずつ読んでいる「自伝・自分史・その周辺」の本の多くは、自分史関連のものです。
ほとんどの自分史は、時系列的に出来事や半生を描いています。
そういう本を読むとき、目次は指標になります。
また、目次が本全体のあらすじになっていることもあります。
「ふむふむ、この人が生まれたのは長野県か」とか、「戦後すぐに就職したのか」とか、「娘さんが三人生まれたのか」とかが読み取れます。
その人の人生の山あり谷ありが、目次だけでだいたい掴めます。

ざっと目次に目を通しただけで、作者がもっとも力を込めて書いている部分が手に取るようにわかってしまうこともあります。
「ここのところがおもしろそう」とか、「ここはしっかり読もう」とか、読む前に予習ができます。

こういう読み方は、自分史のような本ばかりでなく、情報関連の本の内容を整理するのにもとても有効です。
目次が、本全体のサマリーのように、レジュメのようになっているのですね。

本を書いた作者の立場で考えても、目次には重要な意味があります。
「こんな本を作ろう」というイメージが頭の中にあって、そのイメージをより明確にし、他の人にも伝わるようなものにしなければいけない。
本のイメージのデッサンが「目次」だとも言えるでしょう。


本の構成を考えるとき、どんな内容をどんな順番に書いていくかを考えます。
伝えたいテーマをもっとも明解に、しかもインパクトがあるように書くためには、それを提示する順番が大きく関係します。
読みやすく内容が伝わるようしっかり構成された本は、必ず、わかりやすい目次になっているはずです。
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