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主観と客観を兼任する。 

「最良の読者を持て」という提案を、以前したことがあります。

現実世界に、最良の読者がいて、あなたが書いた文章を一つ一つ読み込んで、愛情あふれるコメントをしてくれたら、それに勝ることはありません。
読んでもらって、褒められればうれしいし、いけないところを指摘されれば、前向きに直そうという気になるでしょう。
また読んでもらえると思えば、少しでもわかりやすく、上手な文章を書こうという気持ちにもなるでしょう。

でも、そんな最良の読者を見つけるのはかなりむずかしいですね。
いたとしても、気軽に「読んで」とはなかなか言えません。
「下手」とはっきり言ってもらって、そこを直そうという意図なのに、「もっと上手に書かなければ」と、のびのび書けなくなるかもしれません。

もうちょっと上手に書けるようになってから、なんの文句もつけられない文章が書けるようになったら見てもらおう。

それでは話が逆です。

生身の読者の目の前に、「読んで」と書き上がった文章を差しだす勇気がない方におすすめしたいのは、自分で自分の読者になってしまうことです。
書き手と読み手、二つの立場を兼任することです。

文章を書くあなたは「主観」です。
でも、読むあなたは「客観」です。


「主観」と「客観」、その二つの立場を上手に使い分けることができるようになれば、文章の精度がぐんと上がることでしょう。

書くときは、「私」の気持ちをじっくり見つめて、「私」の脳の中をしっかり探り、正確に、「私」が体験した出来事を再現することに徹すればいいのです。

そして、書き上がった文章を、今度は、自分ではない「誰か」の視点を借りて、第三者として読み返せばいいのです。

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おひとりさまの孤独と歓び。『ひとりの午後に』上野千鶴子 <自伝・自分史・その周辺56> 

ジェンダーの理論家である上野千鶴子さんの最近のテーマは「おひとりさまの老後」。
若い頃からずっと扱ってきたフェミニズムというテーマでは、上野さんは研究者であると同時に、自分自身が研究対象でした。
あらたなこのテーマにおいても、上野さんは、研究者と研究対象を兼務しています。

幸福な人生の典型として描かれるのが、「夫婦子供二人」だとしたら、「おひとりさま」に対して人が抱く思いは、孤独であり、寂しさでしょう。
でも、この本では、「おひとりさま」であることに、肯定的で、潔い決意を持った上野千鶴子という研究対象が描かれています。
これを読むと、私たちも、「どんと来い!おひとりさま」という気分になれそうな気がします。

父母を相次いで亡くし、年末年始を供に過す人がいなくなったとき。供に過す「家族」を探そうと思い、女友だちに声をかけました。
「お願い。大晦日と元旦を一緒に過して」
三人で、缶ビールで乾杯し、明け方には初詣に出かけました。

 わたしはそのときのことを、いまでも恩義に感じている。会うたびに、「あのときは一緒に『お正月家族』したねえ」となつかしく思い出す。
 ひとりものが「家族持ち」を心底ねたましいと思うのは、こんなときだ。
 というより、こんなときだけだ、と言ってもよい。

 最近では、大晦日を一緒に過す友人は、誰にしようかと迷うほど増えました。

 私はこれを「大晦日家族」と呼んできた。
 あれこれ考えると、選択肢がいっぱいあって迷ってしまう。
 家族持ちではないが、自分が「人持ち」だと感じるのは、こんなときだ。

 自ら「おひとりさま」を選択した人ばかりではなく、絶対に「おふたりさま」を望んだ人も、いつか、「おひとりさま」になってしまうことはあります。

 結婚は社会契約。「つがい」は繁殖期の行動。夫婦は子育ての戦友だ。だが、子供を育てるという一大事業が終わったあとは、いったん契約を解除してもっとゆるやかな関係を結びなおしてもいいのではないだろうか。

 超高齢化社会には、家族の義務から解放された男女のおひとりさまが、あらためて男女共学の仲間づきあいをできるようになればよいのに、というのがわたしの「おひとりさまの未来」だ。人生八十年時代、つがいでいる期間はその四分の一。人生百年ならその五分の一だ。「おふたりさま」がゴールであるような考え方を、そろそろ捨ててもいいんじゃないかと思う。




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「感動」は、読み手にゆだねる。 

これまでに書いてきた5つの成功体験を描いた「強み体験エッセイ」。
そのなかに、「感動した」系の言葉が入っていないか、ちょっとチェックしてみましょう。
文章修業もまだ入門直後のころは、必ず締めの一文を、「とても感動しました」とか、「大きな感動を得ました」とか書かないと落ち着かない気分になることがあります。
「感動した」と書かないと、文章を書き終えた気がしないのかもしれません。

「感動した」「感激した」
他にも、「感銘を受けた」とか、あるいは、「感涙にむせんだ」とか、感情を深く動かされたときの表現はいろいろあります。
それら、感動最上級の言葉の使い方には注意が必要です。

あなたの文章のなかで、「感動した」と書けば、それは、あなたが本当に感動したことに違いありません。
でも、それを「感動した」のひと言で括ってしまうと、あなた個人のユニークな体験を、「感動」という一般概念のなかに閉じこめてしまうことになりかねません。

文章で伝えたいことは、あなたが深く感動した出来事です。それを伝えるために、微に入り細に入り、感動した事実だけを積み上げていかなければなりません。

感動したあなた自身が「感動した」と言ってしまうことは、映画の主役俳優が舞台挨拶で、「感動した」と言ってしまうことと一緒ですね。
私たちが知りたいのは、「感動した」という感想ではなくて、あなたを感動させるにいたった出来事なのですから。

出来事は事実であり、それは客観的に描くことができます。
でも、あなたが感動したことは、あなたの主観であって、主観をそのまま提示しても、読んだ人にそのまま伝わる保証はありません。
あなたの感動を確実に伝えるためには、出来事を客観的な事実として描き出す以外に方法はありません。

感動するかしないかは、その文章を読んだ人にゆだねられるべきです。
そのためには、読んだ人が本当に感動できる出来事なのかどうかを検証できるよう、丁寧に出来事を描いていってください。

「感動した!」には、感動しない。 

小泉純一郎元首相が、2001年大相撲夏場所で、ケガを押して闘い続けた貴乃花の優勝に、「痛みに耐えて、よく頑張った」の後に発した「感動した!」は、10年後のいまも、記憶に残る言葉になっています。
たしかに、あの優勝のときの「感動した!」には、素直に感動します。

同じ「感動した」でも、感動できない「感動した」もあります。
新作映画の封切りのときに、出演者が舞台挨拶をしますね。ニュース番組で、そういうシーンを見ていると違和感を感じます。

主役の俳優さんがテンション高目に、
「ぼくも、この映画、感動しました!」
とか、コメントするのを聞くと、気持ちが引いてしまいます。
言葉をきちんと補足すれば、
「主人公が苦難を乗り越えて、信じる道を貫く生き方に感動した」
というようなことを言いたいのでしょうか。
それはそれで「感動した」という表現もあるかもしれません。

主役の俳優さんは、自分が演じた役だけど、第三者として主人公を見ているのでしょう。
それにしても、演じたのは自分。
「自分がやった役に、感動したはないだろう」と思ってしまいます。
ものの見方が意地悪いのでしょうか。

引いてしまう理由は他にもあります。
新作映画の封切り挨拶では、出演者はもうその映画を体験しています。
でも、その映画を見ていない人にとっては、「感動した」と言われても、まだ気持ちを共有できない状態です。そこで、発せられる「感動した」は、自分とまったく関係のない言葉に聞こえてしまうのですね。

自分の体験を書く文章で、やってしまいがちな失敗は、これと似ているのではないでしょうか。
自分は感動したかもしれないけれど、その体験を共有していない人に、感動を伝えることは、とても難しい。

「感動した」にしらけてしまう。
まったく逆効果を生んでしまう結果になりかねません。

男性版「仕事も子供も」『経産省の山田課長補佐、ただいま育休中』山田正人 <自伝・自分史・その周辺55> 

山田正人さんは、経済産業省のエリート官僚(ご本人は、エリートではないとおっしゃると思いますが)。
妻も同期で同じ省庁に勤めています。
男女の双子がいて、二人が二歳半になったとき、妻は第三子を妊娠しました。
育休明けで職場に復帰し、仕事の調子が出てきた妻は、三人目の妊娠を手放しで喜べない様子でした。
一方山田さんの方はというと、担当していた仕事が終了し、新しい部署へ異動したばかり。
妻と自分の職場での位置を公平に比べてみると、妻の方が重要そうです。

「今回は、僕が育休を取る」と決断をします。

民間を指導する立場にある官庁でも、男性が育休を取ることは、ほぼ皆無の時代でした。
こんなことを言う人もいました。

 「いいなあ。いいリフレッシュになるね。単に育児をするだけでなく、その期間をどう使うかが大切だよね」

 冗談ではない。出産して育休を取る女性に、「その期間をどう使うか」などと言い出しはしないだろう。

世の男性たちが、いかに育児を甘く認識しているかを実感する出来事に、その後も、次々と遭遇します。

第三子(次男)が生まれた後、1年間の育休中の山田さんは、文字通りの専業主夫です。
その間の山田さんは、主婦(主夫)の仕事に想像力を働かせない男性たちをバッサバッサと斬捨てながら、必ずしも女性に与するわけではありません。
「妻はこうするが、自分はこうする」というように、つねに対比で考え、研究しながら育児に取り組んでいるように見えるのは、やっぱり、経産省のお役人だと思わされます。

一年間の育休がそろそろ終わる寂しさと、(職業としての)仕事をやりたくてしょうがない
むずむず感とが同居するような時期になって、友人に言われました。

 「おまえ、絶対このまま、退職するなよ」

 今回のおまえの育休は、おまえにとっては耳障りのいいことしか伝わっていないだろうが、実は不愉快に思っている奴等も多い。
 「ふざけるな」「男が育休なんて反則技だ」という人間もいる。
 そういう人間の中傷めいた発言から、必死でおまえのことを守ってくれている人たちがいる。
 このまま「専業主夫になります」とか「転職します」とか言っていなくなるのでは、そういうおまえを守ってくれている人たちの梯子を外すことになる。


山田さんの同僚が発したこのセリフは、私には感慨深いものがあります。

男女機会均等法後、総合職を選んだ女性たちが、「仕事も子供も」という選択をし、出産したときに、周囲の人たちから受けた励ましの言葉がこれではありませんか。
つまり、この本は、男性版「仕事も子供も」だったのですね。
先駆者たちがもろに受ける風あたりを受け、受け流し、立ち向かいながら、山田さんの一年間でした。
こういう生き方もあるという、一つのサンプルとして読んでください。



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「成功する自己イメージ」を更新する。 

自分で書いた「成功する自己イメージ」には、自己啓発本では得られないリアリティがあります。
がんばってもできそうもないことを、無理に書いているわけではありません。
少しだけ、運のいいことが重なったかもしれませんが、体調とメンタリティの条件が整いさえすれば、いつでも、もう一度できることですね。
なんといっても、自分自身が体験した身の丈の成功ですから、もう一度やろうと思えば、あなたなら、必ずできる「成功体験」です。

無一文から億万長者になった人たちの、お仕着せの成功体験ではありません。
(考えてみれば、私はこれまでに、「億万長者になりたい」と思ったことはありませんでした)
ハードルを上げすぎて、自分が掲げた目標に自分で挫折してしまうのは、そういうサクセスストーリーを鵜呑みにしたときでしょう。

あなた自身が書いた5つの成功体験を、自分だけの成功モデルとして、つねに読み返してみましょう。
成功したときの自分自身をもう一度自分の中によみがえらせてみます。

週に1回くらいは、習慣として読み返すことをおすすめします。
それを続けていくうちに、あなたは、ふと気がつくでしょう。

「あれ、この成功体験より、先週やった、あの仕事の成功体験の方が、すごいんじゃないの?」
と。

そうなれば、しめたもの。
あなたには、過去の5つの成功体験を越える、さらなる成功を手に入れたわけです。

もう一つ、新しい成功体験エッセイを書いてください。

古くなった「成功体験」は、新しい「成功体験」のなかに吸収合併されてしまっています。
どんどん「成功する自己イメージ」を更新していってください。

そして、「成功する自己イメージ」が、もっとも自然な自分像になっている。
いつか、そんなことが実現するのが理想です。

「成功する自己イメージ」のおさらい。 

先週は「成功する自己イメージ」について書きました。ちょっと言葉が足りなかったかと反省しています。
「成功する自己イメージ」を持つことがよいことであるとの意見に異論がある方はいないでしょう。
でも、なぜ、それをエッセイにしなければならないのか。
それについて、補足させていただきます。

世の中には、溢れかえるほどの自己啓発本、ハウツー本があり、それらを読めば「成功のしかた」を手に入れることはいくらでもできます。
自作のエッセイよりも、もっと感銘を受ける言葉が満ちているでしょう。
もっと輝かしい成功体験がちりばめられているでしょう。

その本を書いたのは、年間数億円の収入があるセミナー講師かもしれません。
業界トップのセールスマンかもしれません。
3年先まで予約が取れないメンタルコーチかもしれません。

計り知れない成功をすでに手に入れた人が、「こうすれば、必ずあなたも成功できる」と書いているわけですから、それはそれは、信用のおける本のはずですね。

とは言うものの、それらの「成功の達人」が書いた本のそのままを、まだ成功の入り口にも立っていない私たちに、そのまま実践できるでしょうか?

私もいろいろやってみました。その結果、やっぱり他人の処方箋だなあと思います。
実際に年間数億円の収入がある達人のやり方をそのまま真似て、そのまま実践できていたとしたら、私はそろそろ億万長者のはずなのに、そんな兆しはまったくありません。

つまり、他人が描いた「成功する自己イメージ」は、もしかすると、どうやっても、手の届かないものかもしれない。
一握り、うまくいく人もいるのかもしれないが、大部分はうまくいかない。
世の中、全然変わっていないことをみれば、そう結論せざるをえない。

自分の「成功する自己イメージ」にはならないのではないか。
というのが、あまたの自己啓発本に対する私の結論です。

母は子を知り、子は母を知る。『さとしわかるか』福島令子 <自伝・自分史・その周辺54> 

『生きるって人とつながることだ!』の作者、福島智さんのお母さま、福島令子さんが書かれた本です。

幼い智少年が眼球摘出から失明し、その後も難聴、さらにまったくの聴覚障害にいたるまで、入退院を繰り返す壮絶な闘病を、母親の視点から描いています。

想像もできない苦難の連続でしたが、つねに明るく、どこかアッケラカンとした雰囲気が感じられるのは、令子さんのお人柄のおかげでしょうか。

たとえば、こんな描写があります。
子供の頃から飲み続けてきたクスリに不信を抱くようになった智さんが、一日一食の玄米菜食で、10キロのランニングをする治療法を試みようとしたときのことです。

全盲で、難聴も進んでいた智さんは、伴走なくしては走れません。
伴走とはいえ、令子さんは10キロ走れませんから、腰に紐を縛りつけ、自転車で引き、智さんを走らせました。

 知らぬ人が見たら、あれ、何やっているんや? 犬の調教みたいやな、と思ったかもしれない。
 人に見られるとちょっとはずかしい気もしたけれど、しかし今はそれどころではないという気持ちの方が強かった。

お住まいのある神戸は坂の町です。

 でこぼこの土の道もあり、上り下りが激しい。少し走っただけで私はもう弱音を吐く。
 「しんどいわ。もう休もう」
 「何言うとるんや。あんた、自転車やろが! 僕は走っとるんやで。僕のほうがしんどいに決まっとるやないか。だめだ。まだ10キロ走ってない」


悲壮な気持ちで、一日10キロ走ろうとしているのに、二人のやりとりは、ボケとツッコミの漫才みたいです。

全盲ろうとなったあとのコミュニケーションは、点字タイプライターで言いたいことを打ち出し、智さんに渡す。それを読んだ智さんが答えるという気が遠くなりそうなコミュニケーションです。でも、どんなに息子が不憫だと思っても、言うべきことははっきり言うのが令子さん流です。

 私―さっきのあんたの態度はまったく人を馬鹿にした、無視した失敬な態度です。いくら母だとて許しません。それでは立派な人にはなれません。(略)

 智―おかんの態度で腹が立つのは、まず説明をしてからでなく、何も知らせずにただ動作――それも原始的、かつ不明瞭――だけで、自分の意志を伝えようとすることである。

指点字というコミュニケーションの考案も、この遠慮のない「あうん」の呼吸があってのことだったのだと思います。

病院に出かける直前、支度のできていない母に「まだ準備できとらんのか。はよせな、病院に遅れるやないか」
偉そうな物言いの息子に、なにか言い返してやりたいと思っても、点字タイプライターを打っている時間はない。そのとき、とっさに、智さんの手を取り、人差指、中指、薬指の六本の指を、点字タイプライターのキーに見立てて、打ったのが指点字のはじまりだというのです。

 私は、その後ゆっくり、はっきりと智の指に点字の組合せでタッチした。
 「さ と し わ か る か」
 智は即座に、「ああ、わかるで」と答えた。それまで文句を言っていた智がにこりとした。通じた!

指点字が生まれた瞬間でした。



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成功する自己イメージを確立する。 

あなたは、5つの「強み体験エッセイ」を書き上げています。
5つのエッセイは、あなたが生きてきた人生のハイライトを描き出したものですから、そこには、気持ちが昂揚し、自信に満ちて、成功を獲得したあなたが存在します。

5つのエッセイを並べて読んでみると、自分がどのような条件で、どのようなときに成功を獲得できるのかが鮮明にわかるようになると思います。

5つの成功体験で、あなたのなかに、成功する自己イメージを創り上げましょう。

成功するときのあなたは、

◆ どんなふうに立っているのか。
◆ どんなふうに呼吸しているのか。
◆ どんなふうに声を出すのか。
◆ どんなふうに思考するのか。
◆ どんなふうに人に影響を与えるのか。
◆ どんなふうに決断するのか。
◆ どんなふうに行動するのか。


5つの強みエッセイには、「成功する自己イメージ」が記されているはずです。

それは、あなた自身の生き方の教科書になるでしょう。

決断ができなくて、考え込んでしまうとき。
仕事が頓挫して、どうすればよいかわからなくなったとき。
なぜか、パワーダウンしていると思うとき。
人と込み入った話をするのが面倒に感じられるとき。
なにもかも、投げ出したくなったとき。

長い人生です。いろんなことがあるでしょう。
いろんな時間が流れていきます。

「今日の自分はパーフェクトじゃない」

そんな日に読み返す、5つの強みエッセイです。
読み返すことで、成功する自己イメージを再確認してください。
あなたの未来に、役立つツールになるはずです。

強み体験エッセイを、未来につなぐ。 

世の中には、自分の成功体験をつねに反芻し、折りに触れ、他人にも滔々と語る人がいます。
会社の上司だったり、取引先の偉い人だったりすると、聞かないわけにはいかないシチュエーションです。
「また、はじまった。自慢話」というふうに思うこともあるでしょう。
かく言う私も、人の話を聞くことはとても好きですが、自慢話はやや苦手です。気持ちがスーッと引いてしまいます。

でも逆に、「もっともっと聞かせて」と、こちらから催促したくなるような、エキサイティングでおもしろい成功体験を語ってくれる人もいます。

その違いは、どこにあるのでしょう。

本来、人の成功体験は、聞く側も興味がある話題のはずです。
苦境に立たされたとき、どんな行動によって苦境を脱したのか。
関係ない他人にも、自分が同じような場面に直面したなら、どうするだろうかと考えるヒントになります。

でも、「自慢話」としか思えない成功体験を語る人は、そのヒントを提供してくれません。
そういう人の体験は、きっと過去にしか目が向いていないのではないでしょうか。
過去しか見ていないから、他の人の共感が得られず、そこで完結してしまう自慢話になるのでしょう。

あなたが書く強み体験エッセイは、未来を向いていてください。

これまで体験した人生のハイライトです。
それが、どんな努力で、どんなふうに実現したのかを、じっくり分析してみてください。
ネガティブな状況を、一発逆転させた「魔法の言葉」があったとしたら、それを確実に記録してください。

自分の強みが活かされた成功体験。
その実体験を、一編のエッセイに仕上げることは、苦しみが歓びへ一変するカタルシスを思い出し、噛みしめてみることです。
書いていても楽しいテーマになるでしょう。

指で、世界を見る。『生きるって人とつながることだ!』福島智 <自伝・自分史・その周辺53> 

9歳で全盲になり、18歳で耳もまったく聞こえなくなった福島智先生は、
「指点字」という方法で人とコミュニケーションをとります。
指点字は、点字で使う6つの点を、人差指、中指、薬指の左右6本の指に置き換え、
その指にタッチして文字を表現するもので、福島先生のお母さんが考案しました。

福島智先生をはじめて知ったのは、NHKのTV番組「爆笑問題の爆問学問」でした。
バリアフリーの研究をする福島研究室を訪れた爆笑問題。
最初の挨拶で、太田光氏が
「はじめまして。私は木村拓哉です」
そう言ってボケました。
指点字通訳をしてくれる女性が、太田氏の言葉を伝えると、福島先生が、
「えーっ? あんたが木村拓哉ちゅうことはないやろ」
と、苦笑いしました。

見えない。聞こえない。福島先生は一度として木村拓哉をリアルに認知したことはありません。
でも、彼の中に、「木村拓哉とは、日本有数のオトコマエであり、カリスマであり、女性にもてもてである」
という情報がきちんと整理されているのにちがいありません。
思うに、太田光氏と握手した感触、身体から発せられる匂い、伝わる空気感など、
視覚聴覚以外の情報が、すべて、太田氏が木村拓哉ではないことを物語っていたのでしょう。
木村拓哉情報は、点字印刷物からは手に入りにくいと思うので、福島先生は指点字通訳の女性たちから得ているのでしょう。
学問とまったく関係ない情報を貪欲に収集するバイタリティに驚きました。

見えないのか、聞こえないのか、どちらか片方だけなら、人は人とコミュニケーションすることはできます。
でも、二つの障害を同時に持つと、自分から他者に働きかけることができなくなってしまうのです。
相手が自分に関心を持って、働きかけてくれることを待つしかない。
全盲ろうとなって間もない高校生のときの記憶を、福島先生はこんなふうに書いています。

 私はこの“世界”にいるけれど、本当は存在していない。
 周囲から私がここにいるように見えても、本当は私の実体はここにはないのだ。
 私自身が空間のすべてを覆い尽くしてしまうような、狭くて暗い“別の次元の世界”に吸い込まれているのだ。


健常の私には想像もつかない孤独な世界です。
そんなとき、誰かが指に触れてくれる。
指点字で話しかけてくれる。

 私の内部が、ぱっと明るくなった。私の世界に、“窓”が開いたのだ。窓の向こうに、この現実世界が広がっていた。

人とつながる瞬間です。
全盲ろうの世界、想像できないけど想像してみようと思いました。



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メルマガ54号 5月7日(金)発行します。 

都合で、1回お休みしてしまいました

メルマガ「1日10分 1年で創る自分史」54号

無事復活します。
毎週楽しみにしていただいた方には、本当にご心配をおかけしました。

ご登録、お済みでない方は、こちらからご登録ください。
メルマガ 「1日10分 1年で創る自分史
http://archive.mag2.com/0000289134/index.html

また、最近このブログの更新が、ちょっとゆっくりペースになっていますが、
管理人タケは、もう一つのブログでもいろいろ更新中です。
よろしかったら、そちらも、覗いてみてください。

ブログ 「素敵な人に会いました」
http://jibuncounseling.blog3.fc2.com/



強み体験をエッセイにする。 

このブログをお読みいただいていて、脳のライティング回路がつながっている人なら、1000字前後のエッセイは、そんなに悩まなくても、さらっと書けるのではないでしょうか。

でも、そのエッセイをさらに印象深いものにするために、ちょっとコツをお教えします。

このエッセイの内容は、「強みを活かした成功体験」なのですが、それを表現するのに、自分の強みを全面に押し出して書くのはおすすめできません。
どう書いても、鼻持ちならない嫌みな自慢話になってしまう危険があります。

エッセイの構成の展開を、強みに気づく前のあなた、強みを手に入れる前のあなたにフォーカスして、そこから書きはじめてみてください。
上手くいっていない状況を、具体的に描写するシーンが入っているといいでしょう。

たとえば、学生時代の部活で、それまでバラバラだったチームが、ある試合を通じて心が一つになり、力を発揮することができた。
その体験で人と協力することで100パーセント以上の力を得られることを学んだ。

というような内容で書くとします。
ここで比重を置くのは、上手くいっていないチームの状態を、丁寧に描写することです。
上手くいっていないために生じるギクシャクしたチームメイトとの関係なども題材になるでしょう。
すれ違いの会話を具体的にセリフで表現してみましょう。
そのとき感じた嫌な気分とかも書き残したいですね。
上手くいかない状態を確実に書き記してこそ、それを克服した成功体験が際立ってきます。

ネガティブからポジティブへ。
苦しみから歓びへ。
閉塞感から開放感へ。

短いエッセイですが、その中に、気分のレベルが変わる瞬間を描き出すことができれば、印象に残るストーリーを構成することができます。
そして、一つの文章として読むエッセイも、メリハリが利いたいい仕上がりになっているはずです。



「記憶」を「記録」にしてみる。 

先週は、更新をお休みさせていただきました。
このブログを楽しみにしていただいていた皆さま、本当に申し訳ありません。
久しぶりの更新になりますが、あらためまして、よろしく、お願いします。


前回の続きです。
人はそれぞれ、他人にない優れた資源を持っています。
それが、あなたにとっての「強み」になる。
その強みを探しだし、さらに強化していこう、というのが私の提案です。

過去の強みが活かされた経験を前回は洗い出してみました。

あなたの強みが活かされた経験には、仕事が成功したこと、部活で活躍したこと、人から信頼を得られたことなど、いろいろなことがあるでしょう。
たくさん思い出すことができましたか。
思いついたままにリストアップしたものを、今度は記憶から記録へ定着させていきましょう。

「記憶」は記憶のままでは、ただの思い込みで終わってしまうことがあります。
でも、それを「記録」に定着させておけば、記憶を他の人にも伝えられる客観的な事実にすることができます。
客観的に定着した「記録」によって、あなたは、自分の強みをさらにしっかり自覚できるようになるでしょう。
次のハードルに遭遇したときに、強みはハードルを乗り越えるための武器として利用できます。

これまでの人生を振り返って、強みが発揮できて得られた成功体験を順位付けしてみましょう。
かなり昔の体験でも、ごく最近の出来事でもかまいません。
リストアップした出来事の、現在のあなたの人生への影響度の大きなものから順番に、ベスト1から5までを並べてみてください。

その、成功体験を、原稿用紙2~3枚。文字数1000字前後のエッセイにしてみましょう。
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