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感情と切り離せれば、ラクになる。 

「まず、書いてみる」という行為は、脳の中で堂々巡りをしている思考を取り出して見ることです。
脳の中でぐるぐる回っている間は、つかみ所がありません。
それを一度取り出して、机の上に並べてみてみる。
色やカタチ、大きさも、取り出してみてみると、はっきりと視覚的に認識できるようになります。

前項で「客観視できると、つまらない人生」と、思わず筆が走ってしまいました。
つまらないのは、行動を起す前に、結果が客観視できてしまうことで、すでに起こった出来事について客観視できることは、とても大切なことだと思います。

ネガティブな感情につながる出来事に遭遇してしばらくは、悲しかったり、辛かったり、感情の記憶が鮮明です。
その出来事について考えようとしても、感情が先に来てしまい、思考が整理できません。
そのままでは出来事が起きた原因を追及することはできないでしょう。
自分の行動を振り返って反省することもなかなかできません。

その出来事を文章にしたものを見ることで、自分のネガティブな感情も含めて、客観視できるようになります。
客観視できれば、出来事と感情を切り離して見ることができます。
思い出すたびに、怒りがぶり返してくるような嫌な記憶も、感情と切り離してみてみると、案外冷静に見ることができるかもしれません。

すると、不思議なことに、いままで嫌だ嫌だと思っていた出来事の、原因と結果の関係も、しっかり評価できるようになるでしょう。
ずっと捕らわれていたネガティブな感情からも自由になることができるかもしれません。

「書いてみる」→「出来事と感情を切り離す」→「ラクになる」

こんな効果が期待できます。
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書くと、客観視できる。 

なにごとも、アウトプットをあらためて見ると、客観視できるようになる。
文章だけではありません。
その理由は、きっと脳科学的に解明できていると思います。
でも、私たちは脳科学の研究に待つまでもなく、実体験的に知っています。

たとえば、ゴルフをやっている方。
いい気分でクラブが振れて、
「ノビノビといいスィングをしているなあ」
と、すっかり遼くん気取りだったのに、ビデオを録ってもらったのを見たら、フォームがなっていなかったとか。
あるいは、気持ちよくカラオケで歌って、
「桑田佳祐よりうまいかも」
と、思っていた歌を録音したのを聴いてみたら、耳を疑う音痴だったとか。

いくら冷静な判断力がある人でも、いま「行動している自分」を、脳の中で客観視することは、絶対にできないんですね。
もし、行動している自分を脳の中で客観視できる人がいたとしたら、やる前に、「やらない方がまし」という結論が出てしまうでしょう。

自分を客観視することができないから、人はなにかにチャレンジするのでしょう。
完全に客観視できてしまう人生は、案外つまらない人生かもしれませんね。

書くことも同じです。
書いている自分は主体として存在していますから、脳の中で、自分自身の行動を客観視し、評価することができません。
自分が脳の中で考えていることを、欲目ではなく正当に評価できたら、それを文章にして書いているはずです。
それができないから、「まず、書いてみる」という行動が必要なわけです。

仕事が、生き方。『人生で大切なことはすべてプラスドライバーが教えてくれた』 原マサヒコ <自伝・自分史・その周辺71> 

色弱で多汗症。
女子の手を握ると汗でびっしょりの手が気持ち悪いと言われる。
人生負けっ放しの青年が、トヨタの整備士になる。
しかし、トヨタの整備工場にいるのは、ほとんどがトヨタの整備専門学校を出たメカニック。
別の整備専門学校出の原さんは、先輩たちからいじめられているような疎外感を感じます。

そんな彼に親しくしてくれたのは、メンター的先輩の石田さんでした。
仕事をしくじりそうになるたびに、含蓄にとんだ言葉で導いてくれます。
たとえば、新人として入って一年。与えられた仕事に慣れて、だんだん手を抜くようになってしまった原さんに、石田さんは実践的かつ示唆的な、こんな言葉をかけます。

 「原さあ、ちょっと片手運転になっていないか?」
 「片手運転ですか?」
 「そう、ちょっと仕事の手え抜いてないか、って」

 「お前、一年ぐらいで手を抜いてどうするんだよ! お前にとっては何十台目かのクルマかも知れないけどなぁ、お客さまにとってはたった一台のクルマなんだよ! よく考えろ」


文字通りのOJTで、仕事ばかりでなく、「生きること」そのものを学んでいきます。

石田さんの丁寧な仕事ぶりは、いま向き合った仕事に時間をかけ、完璧に仕上げることで、お客さまに満足してもらう。
その満足で、将来のクレームをなくすことができれば、やりなおしの時間と手間ひまを事前に節約することができるという発想です。

石田さんの志の高さは、原さんのどこか投げやりだった生き方をしだいに変えていきます。
原さんは、工場の朝礼で、毎年全社で行う「トヨタ技能オリンピック」に出場し、さらにそこでナンバーワンになると宣言します。

技能オリンピックには、実技だけではなく学課試験もあります。
勉強嫌いだった原さんには実技以上のハードルでしたが、自分だけの勉強法を編み出し、乗り切りました。
23歳で、最年少のNo.1メカニックとなります。

タイトルの「プラスドライバー」にまつわるエピソードは、読んでいてちょっと辛くなります。
比喩ではなく、プラスドライバーは本当に原さんに、人生で大切なことをすべて教えてくれるアイテムでした。



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「岡目八目」で、出来事を見てみる。 

「岡目八目(おかめはちもく)」という言葉があります。

もともとは。碁の言葉だそうです。

実際に碁を打っている人が碁盤を見ていてもわからない手を、傍で見ている勝敗とは関係ない他人は、八手先まで見てとれる。
岡目というのは、傍手で見ている人の目のことですね。

当事者は自分のことがわからない。
第三者は当事者よりも客観的に全体の成りゆきを判断できるということなのでしょう。

自分のことを客観視しようとしても、なかなかうまくはいきません。

自分の心の中にある過去の出来事を棚卸しするとき、

「あのときの、あの行動が交渉を複雑にしてしまった」
と、原因を洗い出す自分がいると同時に、
「いやいや、あの状況での最善の方法があれだったんだよな」
と、誤りを合理化しようとする別の自分がいたりします。
一人二役でそれをやっていると、いつまでも結論にたどり着けないまま、結局棚卸しに失敗して、また棚上げしたまま放置してしまうことになります。

そういうときにこそ、「岡目八目」なのです。

「ネガティブな出来事を書いてみる」

ネガティブな感情と結びついている過去の出来事の一部始終を、とりあえず、書いてみましょう。
そこでも、言い訳したり、合理化したりしようとする自分が顔を出してしまうなら、それでもかまいません。
言い訳っぽく、愚痴っぽく、いまのあなたが解釈する通りに、その出来事を書き記してみてください。

書き記した途端です。
不思議なことに、あなたは「岡目八目」の目で、客観的にその出来事を振り返ることができるようになっています。

脳の中で、堂々巡りをしていたことを、紙の上に定着させたことによって、同じ出来事なのに、いきなりあなたの目で客観視できるようになるのです。

ネガティブな感情で消費する、無駄エネルギー。 

ネガティブな感情を自分の中にため込んだ状態。
その状態のときには、かなりのマイナスエネルギーが放出されているのではないでしょうか。

たとえば、こんな状態です。

会社で同僚にいわれない非難の言葉を言われたときのことを、思い出すたびに怒りの感情が甦ってくる。
その感情が湧き上がってくるたび、集中が途切れてしまい、やらなければならない仕事の手が進まなくなってしまう。
その感情は、少なからず仕事の進行の支障になりますよね。

上手くいっていた異性との関係。
一方的に別れを切り出されて、恋人が去っていった。
そのときの空しさは忘れようとしても甦ってきます。
しばらくの間は、生きていることが辛く思えたりするでしょう。
自分のどこに嫌われる原因があったのか、繰り返し繰り返し考え込んでしまうでしょう。考えても、もとに戻れないことはわかっているのに。

ネガティブな感情を放出できないでいると、人は少なからず、エネルギーを消費します。
それよって、前に向かうために使われるべきエネルギーが減少します。

エネルギーを効率良く前向きの推進力に変えるために、ネガティブな感情をともなう記憶は、大放出しておきたいのです。

「カンタンにそんなことができれば、苦労はない」

そう考える方もいらっしゃるでしょう。
たしかにそうですね。
ただ向いている方向が違うのを修正するだけなら、回れ右をすればすむことです。
でも、感情には、個人のアイデンティティが関係しています。
間違った感情を修正するためには、自分の性格や人格を修正しなければならないという、ちょっとたいへんな作業も絡んできます。

ネガティブな感情があることはわかっている人も、それをすんなり手放すことができなくて、苦労しているのですよね。

障がいは個性。『障害役者 ~走れなくても、セリフを忘れても~』柳 浩太郎<自伝・自分史・その周辺70> 

所属する芸能事務所に行くように言われ、イヤイヤ受けたオーディション。
そのオーディションで、やる気のない生意気な態度で通したら、
「自己中で自信家の主役のイメージにぴったり」と、思いがけない評価を受けて、ミュージカル「テニスの王子様」の主役に抜擢された17歳の柳浩太郎さん。

芝居は大成功をおさめ、前途を約束されていた絶頂のそのときに、交通事故に遭います。

生死の境を二週間さまよい、やっと意識は戻ったものの、高次脳機能障害が残りました。
しかし、仲間と一緒に芝居を創り上げる楽しさ、観客の拍手を受ける興奮を知ってしまった柳さんは、役者の道を断念することができませんでした。

苦しいリハビリを続けながら、芝居を続けますが、動きやセリフなど、思い通りにはいきません。
周囲の人たちや役者仲間は、気遣いしてくれますが、それをかえって重荷にも感じてしまいます。

 「かわいそうだな」
 ボクは事故に遭うまでは、障がいの人を見かけると、そう思って同情していた。
 だから、そういう気持ちに悪気があるわけではないことはわかっている。
 けれども、自分自身が障がいを持って思うのは、同情されることがいちばんツライということ。
 芝居においてもそれは同じだ。
 「柳はこれくらいしかできないから、ここはカットしよう」
 そう思われるのがツラかった。限界を決められたくなかった。
 「いや、オレはこれならできるし」
 どんな無様な姿でもやってみたかった。
 「柳はかわいそうだから」と同情されるのではなく、「柳はこれはできないけど、こういうことはできる」
といったように、できないことではなくて、できることのほうを見てほしかった。

主演したミュージカルを見た深作健太監督からオファーを受け、映画にも主演しますが、思うように演技できず悩みます。
自分は脳の損傷が原因で、セリフを覚えられないと監督に告白したときのことです。

「セリフの暗記なんて、役者さんの資質に比べたら小さいことだと思う。滑舌の悪さも、味があって、ボクは好きだな」

深作監督の言葉に背中を押されて、柳さんは、「障がい」=「自分の個性」
そう思えるようになりました。




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ネガティブな出来事を棚卸しする。 

過去のつらい出来事は、すぐ思い出せるものもあるでしょうが、なかなかすぐには思い出せないものもあります。
長年、無意識のうちに封印していたのだとしたら、その記憶をよみがえらせるのは容易ではありません。

つらい記憶は日常の意識に登らないように、何層にも覆いが掛けられているかもしれません。
その覆いを一枚一枚剥がして、取り出してみます。

思い出すにはマインドマップの手法を使うのが便利でしょう。
このブログでも、以前に紹介したことがあります。

封印してあったネガティブな出来事は、ネガティブな感情と結びついているはずですから、感情を表すフレーズをテーマにしてみましょう。
たとえば、紙のまん中に、「つらかったこと」と書いてみる。
そこから自由に、枝を伸ばして、つらかった出来事をひとつひとつ思い出していってください。
ひとつを思い出すと、その出来事に関連して、あるいはその出来事の関係者に関連して、別の出来事も思い出すかもしれません。
マインドマップを書いているうちに、封印された記憶にもアクセスすることができるでしょう。

マインドマップが上手く使えない方、逆に出来事を洗い出せないという方は、小さな紙にメモしておくようにしてもいいでしょう。

さて、取り出してみると、当時そのままに、つらい、苦しいきもちになってしまうかもしれません。
あるいは、どうしようもない怒りがこみあげてくることもあるでしょう。
思い出しても寒気がする嫌な人物の記憶がよみがえってきて、しばらく気分の悪さが続くかもしれません。

あまり楽しくない作業になってしまったら、ごめんなさい。
でも、やってみる価値のある作業なんです。
楽しくない作業の結果得られるのは、「自己一致」という収穫です。

ネガティブな出来事に、日の目を見せる。 

来し方、過ぎ去りし日々を振り返るとき、誰にも人生の節目節目になる出来事が、あるのではないでしょうか。

思い出されるいろいろな出来事。さまざまなシーン。
そこにあるのは、「うれしかった」「しあわせだった」「たのしかった」というポジティブな感情ばかりではないかもしれません。
「つらかった」「くやしかった」「呪ってやりたかった」「死のうかと思った」というようなドロドロにネガティブな感情も存在するのではないでしょうか。

多くの場合、人間はそういう感情にはフタをして生きています。
思い出さない方がラクに生きられるからですね。

個別に思いだすことはあるでしょう。
夜、ふと目が覚めて、忘れ去ったと思っていたイヤな思い出が突然、よみがってきて、朝まで悶々としてしまうこととか。
あるいは、街を歩いていたら、前から来る人が誰かに似ていると思い、記憶の回路を探ってみたら、過去に自分を裏切った友人にそっくりな顔だと気づく。
気づいたと同時に、封印していた裏切りの一部始終を思いだしてしまうこととか。

ふだんは忘れているのです。
むしろ、なかったことのように、普通に生活しているでしょう。
一度、それらのネガティブな感情につながる記憶をすべて思い出してみてはどうでしょう。

思い出すそのときは、イヤな気持ちになるでしょう。
かつて、あなたの感情を大きく揺さぶった出来事ですから、いまだに、なにか引き起こす可能性はゼロではないでしょう。

でも、それらを封印し続けることも、よいことではありません。

もし、あなたがそれを、「こんなこと、絶対に人に話せない」とか、「いま現在の友人には絶対知られてはならない」とか、強い気持ちで封印していたとしたら、封印のために消費するエネルギーは半端ないかもしれません。

一度、ネガティブな出来事に日の目を見せて、封印のエネルギーを大放出することをおすすめします。

六文字分の世界を見る。『俺ルール! 自閉は急に止まれない』ニキ・リンコ <自伝・自分史・その周辺69> 

幼い頃から、周囲に馴染めない感覚を持ちながら生きていた翻訳家のニキ・リンコさん。
30代になってはじめて、知的遅れをともなわない自閉症「アスペルガー症候群」と診断されます。

ニキさんは、自分の過去を振り返り、周囲の人たちに言われたことを自分なりに解釈し、「俺ルール」を作って思考行動していたことに気づきます。
これまでに経験した事例のひとつひとつからどうやって「俺ルール」が生成されていくかを事細かに検証したのが、この本です。
アスペルガーや自閉症の人の頭の中で、どんなことが起きているのかを、教えてくれます。

「なるほど、そう説明されると、よくわかる」と思ったのが、一度に視野に入る部分が狭いために、つねに少ない情報量をもとに、判断をしなければならないということ。

 こんな想像をしてみてほしい。
 硬めの紙を切り抜いて、活字六文字分の穴をあける。活字といっても大きさがいろいろだが、たとえば、横三ミリx縦一八ミリにしようか。
 今日は一日、新聞も雑誌もこの紙を通して見なければならないとしよう。
 ただし、紙は自分で動かしていいし、縦横を自分で変えてもいい。


全体が見渡せないことを想像すると、気持ちが不安定になりそうです。
まして、他の人には全体が見えているのに、自分には見えていないという自覚があると、イライラすることもあるかもしれません。

新聞のテレビ欄では困らないと、ニキさんは言います。
困るのは、系図やデパートのフロア案内、地下鉄の路線図など。
これはなんの情報か、あらかじめ教えてもらっていれば、情報処理はぐっとやりやすくなるようです。
さらに、全体の中でいま、どこにいるのかということがわかると、安心できるのだそうです。

アマゾンで本を買って、ショッピングカートからレジに進むと、

「サインイン→宛先→商品確認→ギフト→配送→会計→確認」

 というチャートが淡い色で示され、いまは手順がどこまで進んでいるか、記号と色で強調される仕組みになっている。

このシステムがとてもありがたいのだそうです。
「いちいちページが変わるの、面倒くさい」と思っていた私は狭量でした。
あれは、誰でも使えるユニバーサルデザインだったんですね。

アスペルガーや自閉症の人が見ている世界が、少しだけわかりました。



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過去と未来をつなぐ、「いまの自分」。 

「過去は変えられない。未来は変えられる」とよく言われます。
私自身も、カウンセラーとして相談者にときどき言うこととがあります。
「過去」、つまりすんでしまったことは、どんな努力をしても結果を変えることはできないということですね。

しかし、「未来」は変えられる。
これから起きることを、いい方向に変えること、あるいは悪い方向に変えること、どちらもできるわけです。
「だったら、未来をいい方向に変えよう」というのが、このフレーズの意味です。

でも、いくら、「未来は変えられる」と言っても、過去の自分が未来の自分を変えることはできません。
未来の自分を変えられるのは、「いまの自分」です。
「いまの自分」なくして、過去の自分と未来の自分はつながりません。

過去の失敗の反省を、未来の成功につなげる。
過去の未熟さを、未来の成熟につなげる。
過去の無知を、未来の叡知につなげる。

そんなことができるのは、「いまの自分」が存在しているからこそ。
未来をよくするのも、悪くするのも、責任のすべては、「いまの自分」にある。

そう考えると、いま自分が書く「自分史」の役割が明解になってきませんか。
過去のあなたを記録できるのは、いまのあなた以外にはいません。

いま、あなたが書いている自分史は、本になって発売されれば、もちろんあなた以外の人も読者になります。
でも、あなたの最初の読者は、未来のあなた自身です。
未来のあなたに、過去の出来事を伝えることができるのは、いまのあなただけです。

いま、自分史を書くことは、未来の自分を、読者にすること。
未来の自分を、過去の自分とつなぐことです。

いまのあなた以外に、過去から学び、それを活かしてより充実した未来へと変えていくことができる人はいないのです。

「そうか。そういうことがあったから、いま自分はこうしてここにいるんだな」
未来の自分を納得させ、肯定するために、いま自分史を書く。
自分史は、未来の自分への伝言でもあるのです。

自分史を書くモチベーションを保つ。 

どんなスタイル、どんな形式、どんな内容でも、自分史の題材は、自分自身です。
エッセイであっても、小説であっても、あるいは日記、紀行文、家族の成長記録であっても、自分史である以上、題材はあなたの中にあります。
あなたの中にある題材を文章にすることは、よくわかっていることだから書きやすいというメリットがあります。
しかし、よくわかっているということが、逆にデメリットにもなります。

よくわかっている出来事です。
「わざわざ文章にするまでもなく、思いだせば、それですむ」

文章を書くことは、エネルギーも時間も使う、かなり面倒くさい行為です。
その面倒くさいことをあえてするには、それなりのモチベーションが求められます。
面倒くささを克服して、なんとか書きあげたとしても、その文章は、かねてよりよく知っていること。

他人が書いた文章は、多くの場合はじめて読む内容です。
フィクションでも、ノンフィクションでも未知のものに触れる歓びがあります。
小説のストーリー展開にワクワクしたり、作家の視点に共感したりもします。
あるいは、新しい情報に、知識欲が満たされたりもします。
知性にせよ、感性にせよ、なにかを得ることができれば、「読んで得した」と思えます。

自分のことを書いた文章では、なかなか「読んで得した」感は得られません。
では、どんなことで書くモチベーションを保っていくか。
プロではないライターが、書き続けるには、モチベーション問題を解決することが必要です。

自殺と貧困から見えてくる日本 

もう一つのブログ 「素敵な人に会いました」
にも書いたことですが、大切なので、こちらにも書いておきます。


一昨日、新大久保の淀橋協会で、
『自殺と貧困から見えてくる日本 レポートブック』の出版記念イベントがありました。

この本は、今年3月に開催されたシンポジウム
「自殺と貧困から見えてくる日本 ~生きていてもいい。つながりからひろがる私たちができること~」
で語られた思いを集めてレポートしたものです。

記念イベントでは、そのシンポジウムにも参加していた
 香山リカ氏(精神科医)
 清水康之氏(NPO法人 自殺対策支援センターライフリンク代表)
 湯浅 誠氏(反貧困ネットワーク事務局長)
がパネラーとして登場し、
 中下大樹氏(僧侶・いのちのフォーラム代表)
が、コーディネーターで、進行していました。

内容が内容だけに、緊迫感のあるシンポジウムでしたが、そのなかで繰り返し語られたのは、
「自殺」というのが、かつてのように特別な人が行う選択ではなくなってきていることでした。

人生で誰もが遭遇する、病気、怪我、失職、離婚……。
そういったものをきっかけに、人生の歯車が自殺に向かって回りはじめてしまう。
誰にでもありうる選択なんだということ。

失職が貧困を生み、社会福祉制度からこぼれ落ち、さらに救われない貧困に襲われる。
自分の生きる場所がもうないと思った人は、自殺を選択する。
それを止められない現在の社会のしくみ。

「自殺」は、自分で自分を殺すのではなくて、実は社会が殺しているのだということ。

『自殺と貧困から見えてくる日本 レポートブック』
http://book.be-side.net/

ささやかですが、こちらで本を購入していただくと、収益の50%が、貧困・自殺問題対策に使われます。

異国に生きる。『母 オモニ』姜尚中 <自伝・自分史・その周辺68> 

少年時代の日本名は、永野鉄男。大人になってから使いはじめた民族名は、姜尚中(カンサンジュン)。
戦争終結間近の頃、姜さんの母 禹順南(ウスンナム)は、先に来日し、働いていた父の元に嫁いできます。日本支配の下、戦争に駆り出された朝鮮は、貧しさに喘いでいました。
しかし、日本での暮らしがラクだったわけではありません。日本での暮らしは、日本人からの差別を受け、困窮を窮めました。

自分たち夫婦も食べていくのがやっとな暮らしのなかで、同胞の女性が困窮しているのを見ると放ってはおけずに、その人と、彼女の友人もうちに住まわせてしまいます。

 「よかですよ。一緒に連れてきなっせ。キョウコさんていうたかね。ウチはかまわんけん。どうせ、ふたりも五人も、七人もおなじたい。うちんひとも、気にせんけん。何とかなるばい」

 「何とかなるばい」それが母の口癖だった。そこには、くよくよと思い悩む神経質な母とは似ても似つかないもう一人の母の姿があった。母には、自分でもよくわからない、矛盾した二人の人格が同居しているようだった。

家族や知人を気遣い、どうしようもないことをいつまでも思い悩む母。その母と相矛盾するように、肝っ玉かあさんの母もいたのでした。
チョーセン人として異国に生きるとき、生きる糧を得るための行動ひとつひとつが闘いであるような環境で、図太さと大胆さを持ち合わせていなければ、家族を守ることはできなかったのでしょう。

 母は、学校にはほとんど無関心だった。我が子が元気で学校に通っていれば、それだけで安心だったからだ。チョーセン人には大学を出てもどこにも職はないし、なまじ大学を出れば、期待が大きいだけに失望も大きいはず、我が子をそんなかわいそうな目に遭わせるのは不憫だ。これが母の結論だった。
 母が、わたしに、「勉強しなさい」と小言をいうことなど、一度としてなかった。


幼い頃、学校へ行くことができず、読み書きができない辛さを人一倍味わった母です。息子には当然、学問を身に付けさせたいと思ったはずです。
しかし、民族が抱えるハンディキャップは、頑として存在します。息子一人がいかに努力しようとも、克服するのは困難だという諦念だったのでしょうか。過度な期待を息子に負わせないという愛情の示し方でもあったのでしょう。

この本は、一人の韓国女性が、家族を守り、日本に力強く定着していく姿と同時に、切ないまでの望郷の念を描き出します。
「そんなに帰りたかったのに、なぜ、帰らなかったの?」
という疑問に、答えらしきものも見つかります。



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自分を変えていくための、自分史。 

「自分史」で書かれることは、過去のこと。
現在の視点で見れば、過去は決して変えられない出来事ばかり。
変えることができるのは、その出来事を人生にどう位置づけるかということだけです。
一つの事実が、解釈のし方によって、懐かしいいい思い出にもなり、辛い思い出にもなる。
「自分史」を自分の過去の振り返りを捉える人は、

苦しいこと、辛いこと、いろいろあったけれど、過ぎ去ってみれば、あれも、これもいい思い出だね。

というふうに位置づけるでしょう。
そうすれば、いつまでも過去の出来事に拘泥することなく、いま現在を楽しんで生きることができるからですね。

こういう「自分史」も、もちろん有りです。
人生を半分以上終了して、残りの人生はこれまでの延長で、ゆっくりのんびりやっていこうという人の「自分史」なら、それで十分です。

でも、人生をさらに充実させて、新たなチャレンジもしていこうという気持ちの人には、こういう自分史はもの足りないですよね。

自分の過去を振り返ってみたとき、

 仕事の失敗が、いまでも悔しい。
 二十代の失恋が、忘れられない。
 友の裏切りが、いつまでも許せない。
 できない自分が、どうしようもなく恥ずかしい。

そういう人に必要なのは、自分自身を知るためのツールとしての「自分史」です。
自分の思考、行動を深く掘り下げ、自分にフィードバックする機能をもった自分史。
それが、アクティブ自分史です。

アクティブ自分史を書くことで、自己理解が深まります。
自己理解が深まれば、自分自身の思考パターン、行動パターンが自分の人生にどんな影響を与えているかがわかるはずです。

もし、あなたの人生にマイナスに働いているとわかれば、それを修正すればいいのです。
少しずつ、人生をより豊かに、実りあるものに変えていくことができるようになります。
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