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斜陽の真相。『明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子』太田治子 <自伝・自分史・その周辺25> 

太宰治と太田静子の婚外子として生まれた太田治子さん。
彼女が、母の文箱を開き、母が残したメモと大宰が書き送ってきた手紙に、数十年ぶりに日の目を見せます。
長く読むことを拒んでいたそれらの文書によって、『斜陽』という作品が書かれた謎を読み解いていきます。

 「小説と現実を一緒にするのはおかしい」という人がいる。しかし、大宰治は、小説を現実につなげて文学に殉じた小説家であった。小説と現実が同じものでなくてはいけないと念じていたのだと思う。

大宰のその信念によって、生まれてから大人になるまで、大変な迷惑を被ったのが太田治子さんなのでしょう。

お嬢様育ちの文学少女であった太田静子に、大宰が興味を持ったのは、彼女の境遇がチェーホフの『桜の園』のアーニャのようであり、彼女の母、「太田きささま」が、没落を受け入れられない帝政ロシアの貴婦人ラネーフスカヤのようだと直感したからでした。
『桜の園』のような小説を書きたいと思った大宰は、その参考資料にするために、静子に日記を書くことを勧めます。

それからの大宰と静子の関係は、愛のように見えて、実は静子の日記を手の入れたい大宰と、日記を切り札にして大宰の心をつなぎ止めたい静子のかけひきなのではないか。
そう疑わずにはおれない太田治子さんによる検証が、この本の骨子です。
もし、本当にかけひきの材料として生み出されたのであるなら、自分という存在はなんなのだろう。

はじめてのデートで静子に、「あなたは今日からひとりじゃない。僕の命をあずけます。だから責任が重くなるんだよ」
歯の浮くようなセリフを吐いた大宰には、そのとき妻子がいました。

 あなたの方の責任はどうなのですかと問いかけたくなるのである。

太田治子さんは、ときに呆れ、ときに怒りながら、大宰が小説『斜陽』を書くために、静子の日記を手に入れる首尾の一部始終を追います。
そして、その日記との交換条件で自分は生を得たという、認めざるを得ない事実に突き当たります。
「生まれてすみません」じゃなくて、「生んでしまってすみません」だろう。
赤の他人の私ですら、治子さんの代わりにツッコミたくなります。

しかし、治子さんは、自分が生まれた翌年に、母とは別の愛人とともに自殺した無責任な父を、文学に殉じた尊敬すべき作家として、最後には肯定する自分に気づきます。
太田治子さんの思いが「明るい方へ」向かっていることに、ひとまずホッとしました。

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