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淡然と。泰然と。『日本の空をみつめて』倉嶋厚 <自伝・自分史・その周辺34> 

数年前までNHKのニュース番組で気象予報を担当されていた倉嶋厚さん。
ダンディな風貌で解説をされていると、大学の先生が難しい気象学をやさしく説明してくれているような雰囲気。
それまでの天気予報には、「明日の天気はなに?」という以外、なんの興味もありませんでした。
そこに、「気象予報」という見方を取入れ、目からウロコを落としてくれたのが倉嶋さんでした。
倉嶋さんの解説は、気象現象の説明に和歌や俳句を引用した知的な内容で、
四季ある国に住む喜びをひしひしと感じさせてくれるものでもありました。

この本の出版に先立つこと7年前の本は『やまない雨はない―妻の死、うつ病、それから…』というタイトルでした。
自らの喉頭がん。それに続き発病した妻の末期がん。そして死。
その後訪れた喪失うつのすさまじい体験が語られていました。

人生終盤、立て続けに襲った苦しみは、すでに十分に語り尽くし、昇華することができたのでしょうか。
この本では、日本の四季をこよなく愛し、詩歌に深い造詣をもった本来の倉嶋さんに戻っていました。

前半部分では、性格形成に大きな影響を与えた父上との関係を中心に、少年期のことが語られます。
長野で、仏教関係の新聞を発行する会社を営んでいた父上は、神経質で、物事を深く考え込む性格だった倉嶋少年に、細やかな情愛を示し、生き方に大きな影響を与えます。

軍国主義に支配された旧制中学校には、陸軍から将校が配属され、厳しい軍事教練を担当していました。
身体が弱く、軍事教練を休みがちだった倉嶋少年は、配属将校からなにかと目の敵にされていました。

 卒業式の日、卒業生二百人中成績一番の生徒と三番の生徒は
 「学業優等・品行方正」の賞状をもらったが、成績二番の私はもらえなかった。

 父は「得意なときは淡然、失意のときは泰然としているものだよ」と言っただけであった。

旧姓中学を卒業し、気象に興味を持った倉嶋さんは、中央気象台付属気象技術官養成所(現・気象大学)に入学します。
その後は、日本中の気象台を転々とした気象予報士という仕事は、まさに天職だったのでしょう。
みつめ続けた日本の空は、さまざまな文学的なインスピレーションも与えてくれました。

後半部分は、日本の四季と気象学を結びつけた楽しいエッセイ。
博覧強記の倉嶋さんにしかできない気象歳時記の話。
俳句を詠まれる方には、すぐに役立つさまざまな知識が得られます。


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