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老化の自由を楽しむ。『鈍行列車に乗って』井口明久 <自伝・自分史・その周辺42> 

大学病院の院長として勤務し、長年「老人医学」を専門としてきた医師である井口明久先生。
自らの研究対象とほぼ同じ年代に達して、「老人」「老境」「介護」について語った本です。
医学的な裏付けを持ち、自分自身をも事例として客観視できる立場にあって、ちょっと目新しい「老人論」を展開します。

ヘルマン・ヘッセは、『老年の価値』という本の中で、こう書いています。

 「若いとか、年取ったとかいうことは、平凡な人間の間にしか存在しないのです。
 才能があり洗練された人間は喜んだり悲しんだりするのと同じように、あるときは年を取ったり、あるときは若かったりするものです。」


そのことを、著者が自ら実感した同窓会での出来事がとても象徴的かもしれません。三十年ぶりに、故郷で開催された同窓会での体験です。

 座を見渡すと、記憶にない同級生がいた。隣の同級生に「あの人、誰?」と聞くと、「あの人は担任だった先生だよ」と言われた。
 先生は、我々よりは老人に見えると思い込んでいたが、同級生の群れの中にいて、私たちと同年齢に見えた。
 おそらく我々よりも十歳以上は年上だと思うが、いつかしら、私たちは先生の生物学的年齢に追いついてしまった。


似たような体験は、誰にでもあることでしょう。
すごく年上だと思っていた人と、何年ぶりかで話してみたら、同年代の人と変わらない印象だったとか。
あるいは、昔からおばあさんだったけれど、二十年経っても二十年前からさらに全然年を取った感じがしないとか。

科学的には、こういう理由のようです。

 多くの場合、老人の年齢は当たらない。一歳と二歳の区別は容易にできる。小学校との一年生と三年生の区別もできる。
 成長期には、遺伝子が心と体を誘導している。


生命体の役目は遺伝子を後世に残すこと。そのため、生まれてから子孫を作るまでの期間は、遺伝子にしっかりプログラムされている。ところが、その時期を過ぎると、遺伝子から見放されてしまうそうです。
つまり、遺伝子を残す機能を果たせなくなった生命体がまだ生きているということが遺伝子にとっては想定外ということなのですね。

だから、それぞれの個体が自由勝手に自分だけの老化の過程をたどることができる。

 考えようによっては、もはや老人は何物からも監視されていないのであるから、真の自由を獲得したのである。
 そして、いくら長く生きていてもよいのである。


ちょっと年を取ることが楽しくなりませんか?



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