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読まれることを前提に、日記を書く。 

ナチスのユダヤ人狩りを逃れて、父の知人の隠れ家に隠れ住んだ14歳のアンネ・フランクが書いた、『アンネの日記』。
咳もできない隠れ家の日常を二年間にわたって描いています。そんな中で、淡い恋や、母や姉との葛藤など、思春期の戸惑いも記されています。

この日記が、三日間続けるのが難しい、私たちが書く日記と決定的に違うことがあります。
アンネは、将来本となり、出版されることを前提として日記を書いていたのですね。

14歳の少女の多感な感性で過した隠れ家生活。
それを生々しく描いた日記で、作家デビュー。

そういうセンセーショナルな人生設計があって、彼女は、あのみずみずしく感動的な日記を書き続けたのでした。
(アンネが抱いた作家への夢は、ほどなくしてアウシュビッツ収容所で断たれてしまうことを、私たちは知っているのですが)


読まれることを前提として書いているわけですから、読むに足る文章を書かなければなりません。
そのために、彼女は、日記にキティという名前を付けます。日々の出来事をキティに打ち明ける手紙として書きます。
その日あった出来事を丁寧に正直に書き記します。そして、そのときの自分の心の動きもしっかり見据え記述します。
日記を書きながら、気持ちは「作家」なのです。

日記を書いても書いても、まったく文章が上手くならないのは、読まれることを意識して書いていないからです。

一日の出来事を記録する。
ときおり読み返すのは、出来事の起こった日を特定するため。
そこにいた人物を確認するため。
誰かとどこで会ったのか思い出すため。
そういう目的のために日記を書いているなら、上手くならないのは当然です。

誰でもやってしまいがちだと思うのですが、ルーティンの日常を書くときに、「仕事内容は、昨日と同じ」とか、「状況に変化なし」とか「彼との関係は相変わらずである」とか、そっけなく書いてしまいがちです。
自分でわかっていることは、省略していい。簡略化してもわかるからいい。
それでは日記が、ただのメモになってしまいます。
わかっているつもりで書いた日記が、時を置いて読み返してみると、自分でもなんのことを書いたのかわからなくなったりしていることがあります。
これじゃあ、書いた意味がありません。
将来読み返す自分は、いまの自分ではありません。
自分が体験した出来事であっても、あらためて日記に記されたことを読み返すときには、第三者の意識になっているかも知れません。
たとえ、出版するつもりがなくても、将来読む自分のために、わかりやすく、丁寧に日記を書くことにしましょう。



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