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百歳は通過点。『私は百歳』小林清子<自伝・自分史・その周辺48> 

「生と死を見つめた女医の一世紀」と、副題が付いています。
小林清子さんは、女医を引退した後、短歌や俳句を楽しみながら、老いの日々を見つめる随筆を書き、
すでに9冊の本を上梓していらっしゃる方です。

人生経験と言えば、これほどの人生経験はないでしょう。
物理的に長いだけではなく、経験の厚みも深みも、ただただすごいとしかいいようがありません。

自分が百歳近くになったときに、これほど柔軟な思考を持ち、社会に世界に目を向けて生きて行くことができるだろうか?
まず、それを考えさせられます。

「もう、自分は百歳。いまさらジタバタしても、世の中なんにも変わらない。
嫌なところは目をつむり、楽しいことだけやって暮らしていこう。あと、少しだし」
きっと、そう考えると思います。

 今日は両方の足を前に出すのに骨が折れる。明日は歩けないかもしれぬ。

身体の衰えは如何ともしがたく、小林さんをさいなみます。
しかし、とんでもなくクリアな脳細胞には、衰えは皆無です。

 (2007年)4月16日午前7時過ぎ、北米のバージニア工科大学の銃乱射事件が起きた。
 多数の死傷者が病院へ運ばれた。容疑者は銃で自殺したが、講義中の教師が撃たれて死亡したらしい。
 日本では銃を持ってはならぬとなっているのに、アメリカあたりから秘かに銃が入ってきているらしい。  
 アメリカでも銃を持たぬことにするとよいと思うが、あまりに犯罪が多いので、護身用に必要なのであろうか。
 でも、大学での犯行とはなんたることか。日本でこの真似だけはしてほしくない。
 二ヶ所で死者三十二人。負傷者十五人なりと。
 長崎では市長に立候補した人が銃で殺された。北米と日本と同じ日に。問題である。

なんと、鋭い批判精神。
方丈の住まいで、時間をかけて、痛みをこらえながらゆっくり歩くしかない足腰ですが、視野は世界を縦横に動き回っているのです。

 いつ死がくるかわからないのに、あれも知りたい、これも知りたいという思いに包まれている。
 結局私は欲ばりなのであろうか。
 百年近くも生きてきたのに、うかうかと暮らしてしまった悔しさが残る。

以前レビューを書いた井口明久氏の『鈍行列車に乗って』。
そこに書かれていた内容が忘れられません。

 考えようによっては、もはや老人は何物からも監視されていないのであるから、真の自由を獲得したのである。
 そして、いくら長く生きていてもよいのである。

それって、こういうことなのか。
小林清子さんの生き方を見て、納得できました。


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