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百歳の知恵に学ぶ。『百歳からあなたへ』松原泰道 <自伝・自分史・その周辺49> 

昨年、101歳でご逝去された臨済宗の高僧、松原泰道師が、
人生を価値あるものとするために、どういう生き方を選ぶべきかを語っています。
人生の師として、言葉の一つ一つに含蓄があり、こころ洗われます。
たとえば、こんな言葉。

 「はい」は、人に対する返事ではなく、自分に対する返事です。
 自分が、もうひとりの自分を呼び起こす声です。
 ですから、「はい!」と返事をすると、よそへ行っていた自分が戻ってくるのです。
 体はここにあるけれど、心は必ずここにあるとは決まっていません。
 そんなときに、「はい!」と大きな声で返事をすると、初めて心と体が一体に
となります。
 ですから、「はい」は自分と自分とのめぐりあい、「もうひとりの自分との邂逅」です。


ともすれば、心と身体がつながっていない状態でも、人間は生きていくことができます。
自覚のないまま、動き、話し、人に対することは、人間の生き方として、誠実ではない。
「はい!」は、心と身体をつなぐためのスイッチ。
スイッチがつながることで、心と身体は一体となり、そこから、意識的に生きていくことができるようになるのでしょう。

「一期一会」についても、紙幅を費やしています。

 「きょう」という日は、二度とない日です。
 「きょうの出会い」も二度とない出会いです。


「一期一会」は茶事からできた言葉ですが、松原師は「いま」を大切に、と語ります。

 会ったときが別れのとき。そう受け止めて、きょうの出会いから、お互いに出会いの大切さを学んでまいりましょう。

 人との出会いだけではなく、自分自身との出会いも、また、「一期一会」です。

翌日、会うことになっていた和尚さまの訃報が新聞に載っていたのを見て、悄然とお寺に伺うと、
和尚さまが、心臓発作の苦しみの中で記された辞世の書を渡されたそうです。

 「人間は一会一期(一期一会の間違い)、なにごとも丁重にしておかねばならぬ。
 死ぬるかもしれぬがもう遅い。任運自在」
(最後の任運自在は、なにごとも大いなるものにお任せするという意味だそうです)
 ふだんから、なにごとも丁重にしておかないと、突然訪れる最期に間に合いません。

和尚さまが残してくれた遺言だと、松原師はとらえました。
百歳の知恵は圧倒的。
森羅万象、日々の出来事、人とのふれあい。
すべてのことから、学び続けて、すべてを自分の知恵にしてしまいます。
まるで、松原師の講話を直に聞いているように、気持ちが満たされていく本でした。





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