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走ることは、生きること。『走る意味』金哲彦 <自伝・自分史・その周辺51> 

走る楽しさは、まったくわからない人間です。
あまり、わかりたいとも思いません。
マラソンを完走した後に、すごい達成感の地平が広がっているのだろうとは想像できますが、そこまで到達することは私にはできません。
でも、この方の「体幹」に関する本は、いくつか読んで、勉強させていただきました。
また、これまでの経験を活かし、市民ランナーに正しいランニングを指導する姿勢にも共感できます。

その金哲彦さんが、自分の生い立ち、ランナーとしての葛藤、ガンを克服して、ランナーとして再起するまでを描いた本です。

在日三世として福岡に生まれ、田舎でのびのび育った子供時代は、在日であることで差別を感じたことはあまりなかったそうです。
在日を意識せざるを得なくなったのは、早稲田大学の陸上部で、駅伝を走るようになってからでした。
箱根駅伝の往路の五区、山登りを1年生で走り、区間2位の記録を出した金さんは、中村清監督に目をかけられていました。
その中村監督には、在日で金さんに韓国人としてソウルオリンピックでマラソンを走らせるという目論見がありました。
でも、そのためには、金さんが朝鮮籍から韓国籍に変わる必要がありました。
「朝鮮籍」とは、北朝鮮の国籍ではありません。太平洋戦争の終結から朝鮮戦争の終結までの8年間、在日の人たちは押し付けられた日本国籍ではなく、朝鮮籍で生きることができたのだそうです。金さんのご両親は、朝鮮民主主義人民共和国も大韓民国も選ぶことなく、祖国が分断される前の朝鮮籍にこだわり、変えようとしませんでした。
恩師として慕い、その指導力に絶対的な信頼を寄せる中村監督から韓国籍を取得するように命じられたことで、金さんは大いに悩みます。

 両親のこだわりについて、物ごころついてからは、私なりの思いがありました。
 だから、たとえ尊敬する人に国籍を変えろと言われても、すぐには納得できなかったのです。
 国籍を他人から変えろと言われて、どうしてもひっかかりがあったのです。


申し出を断わったことで、金さんはその後、中村監督から無視し続けられます。
その頃の早稲田陸上部員のエリートコースだった早大からエスビー食品という進路を閉ざされ、陸上部のなかったリクルートに入社します。
そこで、リクルートランニングクラブを作り、ランナーからコーチとなり、日本有数の実業団に育てました。

エリートコースには乗れませんでした。
でも、そこから外れることで、体育会系の発想から抜け出し、リクルートで培った企画力、プロデュース力で、「市民のランニング」を確立することができたのではないでしょうか。

人生の途中で体験したガンは、金さんに生きることの意味をもう再確認させてくれました。
これからは、オリンピックを目指すような競技選手のためにではなく、人生を豊かにするために走る市民ランナーのために、身をもって、ランニングの楽しさを示してくれるのでしょう。



自分史の本棚
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