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「感動した!」には、感動しない。 

小泉純一郎元首相が、2001年大相撲夏場所で、ケガを押して闘い続けた貴乃花の優勝に、「痛みに耐えて、よく頑張った」の後に発した「感動した!」は、10年後のいまも、記憶に残る言葉になっています。
たしかに、あの優勝のときの「感動した!」には、素直に感動します。

同じ「感動した」でも、感動できない「感動した」もあります。
新作映画の封切りのときに、出演者が舞台挨拶をしますね。ニュース番組で、そういうシーンを見ていると違和感を感じます。

主役の俳優さんがテンション高目に、
「ぼくも、この映画、感動しました!」
とか、コメントするのを聞くと、気持ちが引いてしまいます。
言葉をきちんと補足すれば、
「主人公が苦難を乗り越えて、信じる道を貫く生き方に感動した」
というようなことを言いたいのでしょうか。
それはそれで「感動した」という表現もあるかもしれません。

主役の俳優さんは、自分が演じた役だけど、第三者として主人公を見ているのでしょう。
それにしても、演じたのは自分。
「自分がやった役に、感動したはないだろう」と思ってしまいます。
ものの見方が意地悪いのでしょうか。

引いてしまう理由は他にもあります。
新作映画の封切り挨拶では、出演者はもうその映画を体験しています。
でも、その映画を見ていない人にとっては、「感動した」と言われても、まだ気持ちを共有できない状態です。そこで、発せられる「感動した」は、自分とまったく関係のない言葉に聞こえてしまうのですね。

自分の体験を書く文章で、やってしまいがちな失敗は、これと似ているのではないでしょうか。
自分は感動したかもしれないけれど、その体験を共有していない人に、感動を伝えることは、とても難しい。

「感動した」にしらけてしまう。
まったく逆効果を生んでしまう結果になりかねません。

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