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おひとりさまの孤独と歓び。『ひとりの午後に』上野千鶴子 <自伝・自分史・その周辺56> 

ジェンダーの理論家である上野千鶴子さんの最近のテーマは「おひとりさまの老後」。
若い頃からずっと扱ってきたフェミニズムというテーマでは、上野さんは研究者であると同時に、自分自身が研究対象でした。
あらたなこのテーマにおいても、上野さんは、研究者と研究対象を兼務しています。

幸福な人生の典型として描かれるのが、「夫婦子供二人」だとしたら、「おひとりさま」に対して人が抱く思いは、孤独であり、寂しさでしょう。
でも、この本では、「おひとりさま」であることに、肯定的で、潔い決意を持った上野千鶴子という研究対象が描かれています。
これを読むと、私たちも、「どんと来い!おひとりさま」という気分になれそうな気がします。

父母を相次いで亡くし、年末年始を供に過す人がいなくなったとき。供に過す「家族」を探そうと思い、女友だちに声をかけました。
「お願い。大晦日と元旦を一緒に過して」
三人で、缶ビールで乾杯し、明け方には初詣に出かけました。

 わたしはそのときのことを、いまでも恩義に感じている。会うたびに、「あのときは一緒に『お正月家族』したねえ」となつかしく思い出す。
 ひとりものが「家族持ち」を心底ねたましいと思うのは、こんなときだ。
 というより、こんなときだけだ、と言ってもよい。

 最近では、大晦日を一緒に過す友人は、誰にしようかと迷うほど増えました。

 私はこれを「大晦日家族」と呼んできた。
 あれこれ考えると、選択肢がいっぱいあって迷ってしまう。
 家族持ちではないが、自分が「人持ち」だと感じるのは、こんなときだ。

 自ら「おひとりさま」を選択した人ばかりではなく、絶対に「おふたりさま」を望んだ人も、いつか、「おひとりさま」になってしまうことはあります。

 結婚は社会契約。「つがい」は繁殖期の行動。夫婦は子育ての戦友だ。だが、子供を育てるという一大事業が終わったあとは、いったん契約を解除してもっとゆるやかな関係を結びなおしてもいいのではないだろうか。

 超高齢化社会には、家族の義務から解放された男女のおひとりさまが、あらためて男女共学の仲間づきあいをできるようになればよいのに、というのがわたしの「おひとりさまの未来」だ。人生八十年時代、つがいでいる期間はその四分の一。人生百年ならその五分の一だ。「おふたりさま」がゴールであるような考え方を、そろそろ捨ててもいいんじゃないかと思う。




自分史の本棚
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