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怖くても、ひとり。『がんから始まる』岸本葉子 <自伝・自分史・その周辺57> 

「おひとりさま」として、自律的に生きてきた女性が、がんを告知されたとき、どう病気と向き合い、人生を建て直していくか。

がんが発見され、手術の手順の説明を医師から受けた病院のロビーで、会計を待つ間のことでした。

「怖い」
 という感情がわいた。
 それは、これまでのどの感情よりも、原初的な感情で、ほとんど物理的な力でもあって、私の胸をとらえていた。生存を脅かされるという恐怖を、このようにつきつけられたことは、かつてない。
 がんになった衝撃を、はじめて体で受けた瞬間だった。今こそが私にとっての「告知」なのだと思った。

 が、人間には恐怖の感情とは別に、「知りたい」という欲求がある。自分の置かれた状況、あり得る可能性について、認識していたいという。

がん患者となった岸本さんは、当事者(主観)であると同時に、観察者(客観)という二つの立場を行き来しながら、がんという病に向き合います。
淡々と、冷静なドキュメントが、一人で生きてきた女性は、こんな感じ方をするのだということをストレートに伝えてくれます。

たとえば、80歳の父親に、がん告知を受けた事実をなかなか伝えられないエピソードがあります。
父親は数年前に妻である岸本さんの母親を失っていて、今度は娘も失う可能性があることを口にすることを逡巡してしまうのです。
久しぶりに会った父と昼食を食べに入ったスパゲティ屋で、向き合いながら考えているのは、こんなことです。

 (まー、やっぱり今日はやめとくか。この後、父は都心の家まで、電車で帰らないといけないわけだし、私は三時から美容院の予約をしているから送れないし、途中ショックでぼーっとして、駅の階段を踏み外されたりしても困る)

あわよくば、手術が無事終わってから、「がんだったよ」と言いたいなどと考えたりするのです。
家族持ちの私は、同じ病気に襲われたとき、これだけ自律的に対処することはできそうもありません。
岸本さんの潔さに敬服します。

一人で手術を受け、一応成功。ただ、再発リスクが残ります。「恐怖」と向き合う日々が続きます。

 私はなぜ、五年生存説を超えて、生きのびたいのか。
 再発、死。その途中にたどる、過酷な治療。加速度的に衰えていく心身といった経過が怖いこともある。
 が、「生きたい」という願いは、「死にたくない」という拒否感と、等価ではない気がする。それ以上のものがある。
 私は基本的に、生きるとはすごくいいことだと思っている。
 だから、まだ生きたりない。


再発の恐怖からまったく解放されたわけではありませんが、手術から5年を超えて、生きる望みができてきました。



自分史の本棚
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