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老いを考え続けること。『老いのかたち』黒井千次 <自伝・自分史・その周辺59> 

人間って、年老いると、こんなに「老い」のことばかり思い続けるものなのか?

私は、私に関することはとてもよく考えます。
でも、「中年女性」だったり、「オバサン」だったりする自分の属性について考えることはまず、ありません。

だから、この本、エッセイ56本すべて「老い」をテーマに貫いていることに、驚きを覚えました。
その驚きは、感動ではなくて、「ああ、やっかいだな」というため息が混じる種類の感情で、「あきれる」に近いのでしょうか。
もちろん、「老い」をテーマにした本なのだから、最初から最後まで、老いのことばかりで間違いはありません。
でも、黒井千次さんですよ。
一人の老人以前に、一人の大御所作家なのですから、もう少し別の視点があってもいいのではないか。
そう思いつつ、読みすすみました。

某出版社のパーティーに、孫と同じ幼稚園に子供を通わせる女性作家が子供連れでやって来ていました。
彼女が、子供達に紹介してくれたときのことです。

  「ほら、Mクンのオジイチャンよ」

普段は年齢を意識することのない、作家対作家の付き合いの中で、いきなり「オジイチャン」と紹介されたことにたじろぎます。

 オレは、オジイチャンだったのだ、と急に老いたような感慨に包まれた。

老いを意識することについて、黒井さんはこんなふうに分析します。

 老いは自分の内側から訪れるというより、むしろ他人によって運ばれてくる。多くの人が語ったり書いたりしているが、乗物の中で若い人から初めて座席を譲られたときの衝撃は容易に忘れがたいものがある。
 

 好意を素直に受け入れられるようになるまでには、老いの自覚といった手続きが必要であるらしい。

老いてみてはじめてわかる、こんなリアルな悩みもあります。

 いろいろ考えるうち、こんな応用問題が浮かんでくる。こちらが優先席に座っているところにもしもっと年寄りの客が乗ってきたならば、さっと席を譲ることができるだろうか、と。
 当然そうする筈だと頷く一方で、こういう年寄りは混み合う時間の電車に乗らなければよいのに、と不平を噛みしめるのではあるまいか。
 そうだとしたら、優先席に座る若者とこちらとの間にさして違いはないように思われてくる。老いてゆく自分とそれを眺める自分との間には、この種の面倒でややこしい関係がひそんでいる。


最初に、なぜこんなに「老い」を考え続けるのかわからないと書きましたが、なんとなくわかってきました。
黒井さんは、「自分の老い」を生きながら、その「老いていく自分」を通して「現代の老い」を観察者として観察しているのですね。
それは、たしかに、黒井さんにしかできないことかもしれません。



自分史の本棚
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