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母と娘の十年。『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子 <自伝・自分史・その周辺62> 

ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気について、最近思いがけず見聞することがありました。
アメリカ海兵隊の徳之島への移転問題でのニュース映像でした。
徳之島で強い影響力を持つ、元衆議院議員の徳田虎雄を、鳩山首相が訪ねたときのこと。
そこに映し出されたのは、ALSの患者である徳田氏でした。
徳田氏は、五十音が書かれた透明の文字盤の文字に一つずつ視線を動かし、移転反対のメッセージを伝えていました。
ALS患者のコミュニケーションがどれほど困難を極めるものなのか、その短いニュース映像の中に、垣間見ることができました。

川口有美子さんの母上は1995年、59歳の年にALSを発症します。
ALSは、身体の麻痺が徐々に進行し、動かなくなり、呼吸困難に陥る神経性の難病です。
この難病を生き抜くためには呼吸器の装着が必要になります。
母には生きて欲しい。しかし、呼吸器を装着することは、家族がつねに側にいて介護する体制が不可欠です。
有美子さんは、ロンドンに海外赴任の夫と別れ、二人の子供を連れて、日本に帰ることを選択します。
この選択は、母と同じ年くらいのイギリス人の友人には非難されます。

 「あなたのお母さんはあなたの世話になるよりは、きっと死を選びたいでしょう」
 「そうかしら?私はそれはありえないと思うけど……」
 「あなた。自分がお母さんの立場だったら、と考えたことはないの?」

友人のこの言葉の真意は、そのときの有美子さんには理解できないものでした。でも、その後の十年に及ぶ介護を経て、いまはわかると言います。

 一人暮らしの母親の末期にはヨーロッパもアジアもない。
 世界中の老母の望みは愛する娘に決して迷惑をかけないこと、美しくない姿を見せないことだ。
 そのためなら一人で静かに逝くのが望ましい。
 しかし、母親を大事に思う娘にとれば、そのような母親の覚悟こそが間違っている。
 「命がいちばん大事」と何度も念を押されて育てられたのに。
 ALSに罹ったとたん「自分は別」では矛盾が生じてしまうではないか。

一つずつ動かない部分が生じ、一つずつできないことが増えていく。毎日一つずつ絶望を積み上げていく行程です。
目を動かして文字盤を追うことができなくなった母上には、もう思いを伝える手段がありません。
知的な障害はまったくないのに、身体が機能しないためにコミュニケーションできない。その苦しみは、他人には計り知れません。

「闘病」は、読む側も辛い、正しくすさまじい闘いでしたが、母上を看取ったあとに、有美子さんに訪れた穏やかな心境に、少し救われた気がします。





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