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前向きな「死」。『モリー先生との火曜日』ミッチ・アルボム <自伝・自分史・その周辺63> 

大学に入学し、取ろうか取るまいか迷いながら、ある少人数クラスに出席したミッチに、モリー教授は出席簿を見ながら声をかけます。
 「ミッチのほうが好きかい?それともミッチェルでいいのかな?」
 ミッチです。友だちはみんなそう呼んでいます。
 「じゃあ、ミッチだ」と、まるでそれで手を打ったっていうような言い方をする。
 「ところで、ミッチ」
 はい?
 「そのうち、私のことを友だちと思ってくれるようになるといいな」

定年を数年後に控えた教授は、十代の青年に、無条件で人を愛する姿勢を見せつけます。
モリー教授とミッチは、担当教官と学生として、深い信頼関係と絆をつくりあげます。
ミッチは大人になりスポーツライターという多忙な生活の中で、すっかり忘れていたモリー教授に再会します。
たまたまチャンネルを合わせたニュース番組に登場したモリー教授は、ALSに罹り、余命わずか。
死の淵にあっても、病や肉親を失い苦しむ人たちの相談にのり、生きるメッセージを送る人として、取材を受けていました。

そのTVを見てから、モリー教授とミッチの個人授業がはじまります。
毎週火曜日、ミッチはボストンに住む教授を尋ね、彼の枕辺で「人生とはなにか」というテーマで濃密な対話をします。
その授業は、教授が死を迎えるまで、14回続きます。

モリー教授はALS。人の介助を必要としています。
週一回の授業を続けるうちにも、できないことが増えていきます。
「いちばん恐れていることは、おシリを自分で拭くことができなくなること」と、インタビューに答えていたモリー教授に、ついにそのときが訪れました。

人におシリを拭いてもらうことを体験し、教授は一つの悟りに達します。

 「他人頼りを楽しむことにしたのさ。今では誰かが横向きにねかせてくれたり、ただれないように尻にクリームをすりこんだりしてくれるときには、楽しいなと思う。
 額を拭いたり、脚をマッサージしてくれるときも、うれしくて、うれしくて。目をつぶって味わいつくすって感じさ」

介護されることは、「赤ん坊にもどるようなものだ」。
母親から無条件に愛され、無条件の心配りを受けていたのと同じ体験をできるなんて、素晴らしい。

モリー教授のように考えることができれば、人間は最後まで肯定的に生きていけるでしょう。
「老いの恐怖」についての授業では、こんな素敵な言葉もありました。

 「私自身の中にすべての年齢が交じり合っているんだよ。三歳の自分、五歳の自分。三十七歳の自分、五十歳の自分というように、そのすべてを経験して、どんなものだかよくわかっている。子どもであるのが適当な場合には、喜んで子どもになるし、思慮深い老人であるのがいい場合には、喜んでそうなる。何にだってなれるんだ! 私は、今のこの年までのどんな年齢でもある。わかるかい?」
 ぼくはうなずいた。
 「今の君の年代を羨ましがってなんていられないよ。 前に自分がそうだったんだから」



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