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不在という存在。『いまも、君を想う』川本三郎 <自伝・自分史・その周辺66> 

生前の川本夫人 恵子さんは、ファッションジャーナリストとして活躍。蘊蓄に富んだキレのよい文章が思い出されます。
恵子さんが食道がんで亡くなられたのは2008年6月。57歳の、あまりにも惜しまれる死でした。

この本の前半は、生前の恵子さんの明るくおちゃめな性格を偲ばせる言葉や行動を描くエピソードで埋め尽くされています。

衣食住への鋭い感性。ときに夫と対立する映画へのこだわり。夫婦二人で訪れた海外旅行のこと。夫の目を通して描かれる川本恵子像を読んでいると、彼女が近しい友人であったような錯覚に捕らわれます。そして、その人がいま、すでに不在であることを考えると、一人の日常を生きる夫の痛みが迫ってきます。

前半の淡々とした筆致から、晩年の出来事はあえて書かないのかと思いました。しかし、後半は恵子さんの発病から闘病、そして死に至るさまざまなエピソードが語られます。
最期は病院ではなく家で迎えたいと希望する恵子さんのために、夫は多くの仕事を犠牲にして、献身的な看病をします。

 その日、どうしても所用があって外出せざるを得なかった。ヘルパーさんに留守を頼んだ。用事が少しのびた。帰るのが予定より遅れる。
 渋谷駅で井の頭線に乗り込む寸前に、ヘルパーさんに携帯電話を入れ、その旨を告げた。席に座ると同時に切ったのだが、よほど声が大きかったのだろう。 
 隣の中年の女性に注意された。思わずかっとなって言った。「女房が生きるか死ぬかなんだ!」。反射的にそう言った。
 気がついたら怒鳴っていた。よほど神経が参っていたのだろう。
 私の見幕に驚いたのか、その女性は黙ってしまった。私もしばらく動悸がやまなかった。


普段、人前で声を荒げることなど、まったくなかったであろう三郎さんの、そのときの気持ちが察せられます。
最後は病院で息を引き取った恵子さんを家に連れ帰るときの心境を、三郎さんはこう表現します。

 家内を連れて家へ向かった。不思議と涙はでなかった。葬儀の準備という現実のほうにまず心をくだかなければならない。悲しんでいる余裕がなかった。 
 もしかしたら葬儀という形式は、悲しみを冷却するためにあるものなのかもしれない。生き残った者を、現実のほうへ、こちら側のほうへと引き戻す。


いちばん悲しいはずの人が、泣いている暇もなく、いちばん忙しく実務をこなさなければならない「葬儀」という儀式。故人とともに、なにもかも捨ててしまいそうになる遺族の心を、しっかりこの世に繋ぎ止めるためにあるのかと、あらためて納得しました。

恵子さんの末期を詠んだ三郎さんの歌の中に、最後まで毅然と美しい恵子さんの姿が遺されています。

 キャベツ刻む包丁床に落とし
 「もう料理は無理」と立ち尽くす妻

 ホスピスを紹介しますと言われし妻
 それでもなお歯医者に通う




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