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国なんぞ、どうでもいい。『声を限りに蝉が哭く 全部話して死にたいね!』中津燎子 <自伝・自分史・その周辺77> 

1頁目を開いたところから、中津さんの思いの強さに胸をぐいぐい押され、圧倒されます。
それは、国民を犠牲にする国と国の戦いへの激しい怒りです。

作者のあとがきから引用するのは、書評としてはルール違反ですが、ここのところを、どうしてもお伝えしたい。
八十五歳の中津燎子さんが、なぜいまだに、日本という国を許さないのか。

 八十年生きたおかげで人間という動物はよくも悪くも実体験からしか学習できない動物であって、その中で「戦争のナマ体験」ほど、未経験者たちにとってわかりにくいものはないということがわかるようになった。

「マッチする つかの間海に 霧深し 身、捨つる程の 祖国はありや」

寺山修司氏の詠んだこの短歌には、自分が戦争の最中に詠んだ下手な短歌と比べ、とんでもないほどの「ゆとり」があると言います。
中津さんの短歌は、これです。

「吾、はたち 空爆さなかの 一瞬に はがみして叫ぶ 明日いきているか?と」

時代を超えて、残っていくのは、寺山氏の歌。二十歳の娘のナマの声は、消えてしまうに決まっている。
だったら、いま、白髪の老婆は、声を限りに叫ばなくてはならない。

十二歳まで、中津さんは日本領事館の通訳として働いていた父と母、兄とともにロシアのウラジオストックで育ちました。
その地の小学校では日露の混血児、日中の混血児が入り交じり、自宅にはロシア人のメイド、街にはロシア人、中国人、韓国人、ヨーロッパ人……。
国際社会で幼少期を過し、太平洋戦争の戦火を開く直前の日本に戻ってきました。
戦時教育を受けていない中津さんは、当時の日本の同世代の愛国小学生たちには理解不能の子供だったのでしょう。
日本中が八紘一宇の熱に浮かされ、悲惨な戦争に突入していくのを、冷めた眼で、しかし怒りを込めて見据えていました。

昭和二十年、毎日のように「玉砕」という文字が踊っている新聞。

 「国は国民をそうまでして殺したいか? このバカ! 一度でいいから生きて幸せになれ! と言えないのか」と沸騰した鍋のふたがブッ飛ぶように怒鳴っていた。

 「死ぬもンか! 玉砕クソくらえ!」


1925年に生まれた中津さんが、死ぬ前に伝えようとしていること。
いま言わなければ、もう未来に手渡すことができないメッセージです。
こうして書いていただけることが、本当にありがたい。
「戦争」が、本来国が守らなければいけない国民をどれだけ蹂躙するのか。
声を限りの叫びを、受けとめました。






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