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色川大吉氏の「自分史」 

11月1日付けの朝日新聞に、「自分史」の提唱者である色川大吉氏の記事がありました。
自分史を提唱した理由について、氏はこう語っています。

 時代の構造や指導者像ばかりを追い、科学的で客観的な歴史一点張りの硬直した学会に対する反発がありました。歴史をつくったのは少数のエリートではない。無名の多くの民衆の力でつくられてきた。
 民衆とは、それぞれの自分の人生を担っている人々の集合体。一人ひとりの人間にウエートを置いた歴史を書かねばならない。
 個性を重視し、歴史を物語る主体は、その本人だということを明確にしようと、「自分史」を打ち出した。


1975年に、色川氏が最初に書いた自分史が『ある昭和史―自分史の試み』。

国が起した戦争に翻弄され、「個人」という生き方を蹂躙され続けることを由としない意志の表明であったのでしょう。
国の歴史だけを見ていると、そのなかにある人一人の歴史はあってなきがもののように扱われてしまいます。
しかし、その歴史こそ、人が生きてきた証であり、個人の歴史の集積が国の歴史を形作っているのだという認識。

一個人といえど、あの無謀な戦争を招いた責任がある。
あの戦争の最中、自分はなにをしていたのか?

昭和の「自分史」は、歴史と個人との関係性を明らかにしていくという目的があったのでした。

色川大吉氏自ら、語られると非常に説得力があります。
たしかに、昭和を生きてきた人生の先輩たちが上梓した自分史のほとんどには、戦争の時代をどう生きたかが描かれていました。
戦争をほとんど覚えていないはずの年代の人も、戦後の時代に子供であったときに受けた戦争の残像を描いていました。
好むと好まざるとに関わらず、昭和の自分史のメインテーマは、戦争だったのです。

では、戦争とまったく関わりのなくなってしまった、この時代の私たちにとってのメインテーマはなんなのでしょう。

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