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美しい老人であるために。『老いの才覚』曾野綾子 <自伝・自分史・その周辺77> 

曾野さんの基準では、「老人」は年齢ではないのです。

 私が老化度をはかる目安としているのが、「くれない紙数」です。
 世間には、友だちが「してくれない」、配偶者が「してくれない」、娘や息子や兄弟や従兄弟が「してくれない」と始終口にしている人がいます。
「今度行くとき、私も連れてってくれない?」
「○○さんに伝えておいてくれない?」
「ついでに買ってきてくれない?」
 と、絶えず他人を当てにしている人もいます。
 私は密かに「くれない族」と呼んでいるのですが、どんなに若い人でも、「くれない」と言いだしたときが、その人の老化のはじまりです。


自分の身の回りのことが、たとえ上手くできなくても、少なくとも自分でやろうという意志を持つこと。
その気持ちも持たずに、「老人なんだから、やってもらってあたりまえ」と考えるようになったら、「それこそ、老人である」ということのようです。

私にも耳が痛い、苦言の数々がありました。
私は、とりあえずなんでも自分でやれます。
ただ、ついついやってしまうのは、年下の人たちと夜のレストランや居酒屋にはいったとき。薄暗い照明の下でメニューを見るには、メガネを取り出して、わざわざかけないと読めません。(暗いところでは、かけてもよく読めないときもあります)
そんなとき、ハナからメニューを見ようともせず、「なんか、おいしそうなもの選んで」
これから食べるものの選択権を放棄してしまうなあ。

「こういところ、ダメ老人だ、私」
これからは、自らメガネを出して、メニューをちゃんと見ようと反省しました。

 「老人であろうと、若者であろうと、原則はあくまで自立すること」

曾野さんの思いは、実に潔く、ストイックです。
「老年の仕事は孤独に耐えること」と、言い切ります。

 孤独は決して人によって、本質的に慰められるものではありません。たしかに友人や家族は心をかなり賑やかにしてはくれますが、ほんとうの孤独というものは、友にも親にも配偶者には救ってもらえない。
 人間は、別離でも病気でも死でも、一人で耐える他ないのです。


年取って、曾野さんのような生き方ができるのかどうか、自信はありません。
でも、「老人だから」という甘えはよす覚悟をしておこうと思います。




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