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時代に刻みつけたトラウマ。阪神淡路大震災。 

関西に住んだことはありませんが、阪神大震災を、私は死ぬまで忘れることはありません。
1995年の1月17日。
私はその日、名古屋に出張で、早朝東京を発ちました。
9時前に名古屋駅に着きますが、なんかざわついた異様な雰囲気が立ち込めていました。
その時代、駅には現在の電光掲示板のようなメッセージボードはなく、大きな模造紙にマジックの手書きで書かれたポスターが貼られていました。

 大阪・神戸方面に大地震
 名古屋以西の新幹線は運転を見合わせております。
 死者行方不明者は1500人におよびます。

「1500人って、なに!?」

その文字を見たとき、下半身から力が抜けていきました。
とにかく、関西で大地震があったことだけはわかりましたが、情報がまったく手に入らない状態でした。
携帯電話を持っている人はほとんどいない時代です。
打合せ先でも、ただただ憶測の会話が交わされるだけで不安が募りました。

最初に見た「死者行方不明者1500人」の数字が十分衝撃だったのに、そのあと、交番やホテルで掲示板を目にするたびに、「死者行方不明者1800人」、「死者行方不明者2000人」、「死者行方不明者2500人」と、どんどん増えていきました。
あの怖さはいまだに忘れられません。
日本で、普通に生活している人たちが、一気に何千人も死んでしまう。
実際に神戸であの地震を体験した人の恐怖はいかばかりかと思います。

あの大震災のあと、しばらくは意識的にカラ元気を振り絞って生きていたような気がします。
そして、その2ヶ月後に、地下鉄サリン事件。
私がよく仕事で乗り降りする駅で起きた事件でした。
会社の同僚には、朝、その駅を通って出社してきた者もいました。

阪神淡路大震災
地下鉄サリン事件
世紀末

この三つが揃って、「もう地球は終わるんだなあ」と、私も漠然と思っていました。
時代がトラウマを背負い込んでしまったのだと思います。

あれから16年……。
あの時代のうすら寒さ、吐き気をもよおす喪失感。なにかしていないと泣きたくなる焦燥感。
そのころと比べれば、2011年は、全然、乗り切れる。
私も、まだまだ大丈夫です。

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