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未来の自分に敬意を払う。 

書き手が自分であり、読み手も自分である、という文章を書くときには、ひとつ大きな落とし穴があります。
書き手のあなたが、読み手のあなたに甘えてしまうことです。

他の人が読むことを前提とした文章を書くときは、誰でもそれなりに構えます。
自分の真意が間違って伝わらないように、できるだけ丁寧に書こうとするでしょう。

ところが、読むのが自分だけだとわかっている文章では、その丁寧さを欠いてしまいがちです。
他人に読んでもらうなら絶対に書かなければ理解してもらえないようなことでも、「わかっているから書く必要ない」と、省いてしまうことがあります。
文章の基本5W1H(だれが、いつ、どこで、なにを、どうして、どのように)を書かずにすませてしまうこともあるかもしれません。

週末に見て、感動した映画のこと。
今日食べたイタリアンの繊細な美味しさ。
仕事で上司に褒められたときのうれしさ。

記憶に鮮明に残ったことは、書くまでもない。きっと覚えているはずだから。
そんな気持ちで、読み手のあなたに甘えてしまうのでしょうか。

書いた文章を読む返すとき、それがごく近い未来なら、その文章に書かれた内容は単なる手掛りとして、実際にあった出来事を脳の記憶の中から引き出してくることができます。

でも、時を経て、もう遠い記憶の彼方へ行ってしまった出来事は、書かれた文章から再生するしかありません。

「読むのは自分」と言っても、その自分は、いまの自分ではなく「未来の自分」です。
未来の自分は、もういまのあなた自身ではありません。
書き手のあなたが、未来の読み手のあなたに敬意を払って、書かれた文章だけで、記憶を再構築できるように書いてほしいのです。

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