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失っても残るもの。『妻を看取る日』垣添忠生 <自伝・自分史・その周辺97> 

国立がんセンターの病院長を長く務められた垣添忠生医師。
皮肉にも、最愛の妻を小細胞がんで見送ることになりました。
「国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録」と副題が付けられた本。
文字通り、妻の闘病から死を看取り、そして、その後訪れたうつ状態に苦しみ、しかし、その中から再び立ち上がるまでを、つぶさに描いています。

若い頃から膠原病を患い、病弱であった妻、昭子さん。
それでも元気なときには、夫の忠生さんと一緒に、カヌーに乗り、ハイキングを楽しむ行動的な女性でした。
しかし、がんに侵されてからは、転移を繰り返し、最先端の陽子線治療も功を奏しませんでした。
手術に耐え、抗がん剤の苦しさにも耐えてきた昭子さんは、本当は治療を中止し、そのまま静かに残された時間を過すことを望んでいたかもしれません。
しかし、夫は国立がんセンターの病院長。
その妻が、なにも手を施さぬまま、がんに負けることは許されないということもわかっていました。

 本当のところ、妻は抗がん剤の効果を信じてはいなかったのではないかと思う。
 やはり、全身への転移を知った時点で、妻は自分の命をあきらめていたように思えてならない。
 それにもかかわらず化学療法を受け、激しい副作用に耐えたのは、結局は私のためだったのではないだろうか。
 何とか妻の命を救いたいと必死になっている私の期待に、全身で応えようとしてくれていたのだろう。


垣添さんの献身も、昭子さんのがんばりも空しく、2007年末、外泊を許された自宅で、昭子さんは亡くなります。

妻を失った後の垣添さんは、いままで以上に仕事に打ち込みます。集中している間は、昭子さんのことを思いださずにすみます。

 問題は、夜である。
 寒風の吹きつける中、コートのえりを立てて帰宅すると、明かり一つ点いていない家が待っている。
 日中、誰もいない部屋の空気は冷えきっていた。
 祭壇の写真の前に座り、妻に今日の出来事を報告する。
 だが、いくら話しかけても答えは返ってこない。妻はもういないのだ。
 この事実が堪え難かった。


 「もう生きていても仕方ないな」
 何度、こう思ったか知れない。
 そして、この考えを打ち消してくれるのもまた、妻なのだった。
 そんなことをしても、妻は決して喜ばないのだから、と自分に言い聞かせた。


その苦しみの中から、垣添さんは立ち直りました。
やっと未来を考えられるようになり、いまは執筆や講演活動に忙しい、亡き昭子さんが望まれたであろう生活を送っています。




自分史の本棚
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